2005年09月24日 真田昌幸の長男である真田信之の霊屋があるとのことで寄ってみました。場所は山本勘助の墓のすぐ近くでした。千曲川の堤防沿いの道を走っていくと見つけることができますが、道が狭くてなかなか現地にたどり着け… 続きを読む 大鋒寺
史跡の種類: 墓
攀桂寺
2005年09月11日 曹洞宗遊月山攀桂寺当山は開山宗祖道元14世法孫道威元亀2年5月跡部伊賀守信秋の創立で、はじめ穀蔵寺と称したが後に信秋の舎号攀桂斎をとって攀桂寺と改めた。跡部氏は甲斐源氏小笠原長清の長男伴野六郎時長… 続きを読む 攀桂寺
照陽寺
2005年08月06日 関東管領上杉憲政の墓 上杉憲政は関東管領であったが戦国争乱の世、北条氏康に攻められ援を謙信にもとめ、永禄4年管領の職として上杉の姓を謙信に譲った。照陽寺が越後から移るときこの墓もここに移した。(看… 続きを読む 照陽寺
上杉家廟所
2005年08月06日 上杉家歴代藩主の廟所で、藩祖謙信公を中央にしてその両側に12代までの藩主の廟が並んでいます。廟は2代から8代までは社造りで、材質もケヤキを用い、柱は丸柱となっています。9代から12代までの廟は10… 続きを読む 上杉家廟所
林泉寺
2005年08月06日 春日山林泉寺上杉謙信公の祖父長尾能景が、父重景の菩提を弔い勲業を顕彰しようと、明応5(1496)年越後高田(現新潟県上越市)に開基建立した曹洞宗の寺院です。寺号「林泉寺」は長尾重景の法名、山号「春… 続きを読む 林泉寺
飯岡共同墓地(穴山梅雪墓)
2005年08月04日 穴山梅雪墓 天正10(1582)年に、織田信長が明智光秀に殺された本能寺の変が起こったとき、泉州堺(大阪府堺市)に滞在していた徳川家康は、京都を避けて急いで居城の三河(愛知県)の岡崎城に帰るため、… 続きを読む 飯岡共同墓地(穴山梅雪墓)
新羅三郎義光の墓
2005年08月04日 新羅三郎義光の墓 新羅三郎は、源義光のことで源頼義の子にあたります。兄に源義家、源義綱がいます。新羅三郎というのは園城寺の北院の鎮守新羅明神をまつる新羅善神堂の神前において元服したことにちなむもの… 続きを読む 新羅三郎義光の墓
上杉謙信・景勝霊屋
2005年08月03日 高野山奥の院の参道には上杉謙信の墓もありました。奥の院入口の案内板には上杉謙信・景勝霊屋と書かれていましたが、場所は武田信玄・勝頼供養塔をすぎてすぐに反対側あたりのはずでした。注意深く探しながら歩… 続きを読む 上杉謙信・景勝霊屋
小田原北条家墓所
2005年08月03日 小田原北條氏の興亡(1495~1590)小田原北條氏は、伊豆韮山城主伊勢新九郎早雲が明応4(1495)年箱根山を東に越え、小田原城に大森氏を逐って西相模に進出し、その子氏綱が小田原を根城としたのが… 続きを読む 小田原北条家墓所
陽雲寺
2005年05月01日 陽雲寺は曹洞宗の寺で、鎌倉時代初期の元久2(1205)年の創建と伝えられ、初め唄樹山満願寺と称したという。元弘3(1333)年新田義貞が鎌倉幕府打倒を祈願して不動堂を造立したことが寺伝にみられ、以… 続きを読む 陽雲寺
正龍寺
2005年05月01日 曹洞宗の寺院で、高根山藤源院といいます。正龍寺の創立は、花園城主藤田五郎政行で、高嶺山に筥根権現を祭り、一寺を創立す、といいます。能国の時代、文治4(1187)年城下に青龍が出現し、龍泉の湖をつく… 続きを読む 正龍寺
東光寺
2005年01月09日 法蓋山東光寺といい臨済宗妙心寺派のお寺であり甲府五山の一つである。伝えによれば新羅三郎義光が保安2年(1121)に国家鎮護仏法興隆の祈願所として諸道を建立、本尊に釈迦如来を安置し、興国院と名付けた… 続きを読む 東光寺
信松院
2004年12月25日 松姫尼公墓 市史跡 松姫尼公の墓松姫尼公は武田信玄の四女(六女とも言う)で、信松院の開基です。姫は永禄4(1561)年に生まれ、7才のとき織田信長の長男信忠と婚約したが、その後、武田・織田の両家が… 続きを読む 信松院
大聖寺
2004年12月11日 今川義元公墓所 市指定史跡戦国時代の駿河・遠江・三河の領主今川義元は永禄3(1560)年5月19日、尾張桶狭間の合戦で織田信長の奇襲にあって討死しました。その時、首をとられた義元の胴体を家臣が背負… 続きを読む 大聖寺
虎之助の墓
2004年12月11日 人質 虎之助の墓(萩城主奥平周防勝次の男)作手亀山城主奥平貞能が、武田氏に属した時、貞能の二男仙丸、日近城主奥平貞友の女於フウと共に人質として甲州に差遺はされたが、天正元(1573)年、貞能親子が… 続きを読む 虎之助の墓
於フウの墓
2004年12月11日 人質 於フウの墓(日近城主奥平貞友の女)作手亀山城主奥平貞能が、武田氏に属した時、貞能の次男仙丸、萩城主周防勝次の男虎之助と共に人質として甲州に差遺はされたが、天正元(1573)年、貞能親子が徳川… 続きを読む 於フウの墓
奥平仙千代の墓
2004年12月11日 奥平貞能とその子貞昌(後の長篠城主)は元亀2(1571)年武田信玄に降伏したので、仙千代を武田方へ人質に出すことになった。天正元(1573)年になって貞能父子は武田氏にそむいて徳川家康についたので… 続きを読む 奥平仙千代の墓
北条氏政・氏照の墓所
2004年11月13日 小田原市指定史跡 北条氏政・氏照の墓所北条氏政は、北条氏四代の領主。氏照は氏政の弟で八王子城など5つの支城の城主でした。天正18(1590)年豊臣秀吉の小田原攻めにより小田原城が落城すると、五代領… 続きを読む 北条氏政・氏照の墓所
蔵林寺
2003年11月23日 ここには米倉丹後守一族の墓地があります。蔵林寺と書かれた入口に車を止めて中に歩いて行きましたが寺の境内には立派な駐車場がありました。そのまままっすぐに進むと本堂と思われる建物があり、向かって左側の… 続きを読む 蔵林寺
妙心寺
正法山と号し、臨済宗妙心寺派の大本山である。深く禅に帰依された花園法皇が関山慧玄を開山とし離宮荻原殿を改めて寺とされたのが当寺の起りで室町初期に一時中断し再興後応仁の乱で再び焼失したが、乱後雪江宗深が再建、弟子にも名僧が… 続きを読む 妙心寺
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