2015年10月12日 臨照山 西岸寺この寺は弘長元(1261)年北條時頼が帰依した中国から来朝の大覚禅師によって開山された。二世大通禅師は寺の基礎を固め大覚禅師の尊像を開山堂に安置し初祖の偉業を称えた。六世大徹和尚は至… 続きを読む 西岸寺
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長春寺
2015年10月12日 天正10(1582)年織田軍の兵火により、この寺は赤須城もろとも灰塵に帰した。(長野県の武田信玄伝説より) 2008年11月02日 長春寺に到着すると境内からは煙が立ち込めていました。ちょうどご婦… 続きを読む 長春寺
赤須城
2015年10月12日 駒ヶ根市指定史跡 赤須城跡赤須城跡は、南は宮沢川の浸蝕による自然の堀、北方は田沢川の深い谷で遮断され、東は峻立する急斜面という自然の地形を巧みに利用した要害の地で、東西900m、南北400mの範囲… 続きを読む 赤須城
兵越峠
2015年10月12日 この峠を兵越峠と名づけたのは武田信玄が上洛を志ざし、元亀3(1573)年10月3日(新暦11月18日)約2万5千の大軍を率いて信濃国遠山領を通って、青崩峠の少し手前で分隊し、一隊はこの兵越峠も越し… 続きを読む 兵越峠
青崩峠
2015年10月12日 静岡県指定史跡 海抜1082メートル青崩峠は遠州と信州の国境にあって古くからある信州街道(秋葉街道ともいう)の峠である。この道は昔から海の幸や山の幸が馬や人の背によってこの峠を越して運ばれたことか… 続きを読む 青崩峠
信玄滝
2015年10月12日 戦乱おさまらぬ元亀(1573)、甲斐の雄武田信玄は三河攻めを行う際にこの地を訪れた。滝は豪快に水を壷に叩き落している滝をみていると轟音とともに繁吹が信玄の身を覆った。顔を洗おうとした時、水面は鏡の… 続きを読む 信玄滝
龍渕寺
2015年10月12日 当山の開創は大永元(1521)5月遠山郷和田城主遠山遠江守景廣が親交のあった遠江城飼郡川村庄牛渕(現静岡県小笠郡菊川町牛渕)極楽寺二世宗誉和尚を請せしも老令の放と以って固辞し第2法子洞光和尚来りて… 続きを読む 龍渕寺
和田城
2015年10月12日 遠山氏の出目については、梶原景時の子孫とも、藤原氏の美濃遠山氏と同族であるともして、諸説粉々として不明である。戦国期になり、和田城主となった遠山遠江守景広の時に、初めて諸古文書中にその名が現われ、… 続きを読む 和田城
提灯ずるね
2015年10月12日 提灯ずるね(尾根)つつじ公園武田軍は大軍がいるかの如く見せかけるため、提灯を掲げかがり火を焚き、山本勘助が一本松(史跡天然記念木山本勘助物見の松)に登り、神之峰床山城の状況を偵察、一気に夜間改め入… 続きを読む 提灯ずるね
追取り
2015年10月12日 追取様の由来中世における山城、神ノ峰床山城が半月に及ぶ武田軍との攻防戦の末落城し烏有と化した。時に天文23(1554)年9月のことである。知久信貞以来、300年に亙って南信濃に君臨してきた知久氏の… 続きを読む 追取り
山本勘助物見の松
2015年10月12日 山本勘助物見の松は一本松、ジタジタ松ともいう。知久氏攻略に進んできた武田の武将山本勘助は、喬木村富田を経て、柏原に侵入、この松によじ登り南正面に見える神之峰床山城を遠望すると、天然要害の地に立つ城… 続きを読む 山本勘助物見の松
ジタジタ峠
2015年10月12日 天文23(1554)年武田信玄の率いる武田軍は小笠原氏の鈴岡城を攻め落し、その勢いをもって下久堅の文永寺を焼き払い、竜東の雄、諏訪氏の流れの知久頼元の居城神の峯攻略のためここに立った。時に8月中旬… 続きを読む ジタジタ峠
神之峰城
2015年10月12日 飯田市上久堅にある神之峰城は、天竜川東方の神之峰に占地している。西方に天竜川沿いの伊那谷平野部が一望できる。頂上を中心に神之峰全体に遺構が広がっている。頂上付近に堀を挟んで主郭と出郭があり、その南… 続きを読む 神之峰城
松尾城
2015年10月12日 本曲輪 松尾城址案内図 松尾城は天竜川の河岸段丘を利用して構築された連郭式平山城である。遺構の残存状況は良好である。下伊那地方の中世城郭のモデル的性格をもつ城郭の一つといえる。東方は天竜川に臨み、… 続きを読む 松尾城
鈴岡城
2015年10月12日 本丸 鈴岡城は天竜川の西、伊賀良段丘の突端部に位置している。北方に深さ約70mの毛賀沢川の侵蝕谷があって谷底に伊賀良川とよばれる用水が通っている。更に東方には段丘崖の直下から天竜川に向って駄科・長… 続きを読む 鈴岡城
松原諏訪神社
2015年06月28日 この鐘は、弘安2(1279)年信州佐久郡大井荘(庄)落合の新善光寺に大井荘(庄)地頭源朝臣大井光長が寄進したもので、大和国下田村鋳物師伴長の作で、長野県最古の在銘梵鐘である。池の間の飛天の陽刻は鎌… 続きを読む 松原諏訪神社
海尻城
2015年06月28日 所在地 南牧村大字海尻下殿岡城の種類 山城城の構造山の尾根の末端で大月川の深い谷を選んで構築。本丸、二の丸、三の丸があり、西側の背面は大掘切で守られている。城の南側は日向前、北側を日陰窪と呼んでい… 続きを読む 海尻城
平賀源心胴塚
2015年06月28日 歴史及び伝説海ノ口城主平賀源心成頼は天文5年12月28日に武田信玄の奇襲にあい戦死した。不落を誇り武田氏をなやました海ノ口城は信玄16才の初陣の手柄により遂に落城し源心の遺骸がこの場所に埋められて… 続きを読む 平賀源心胴塚
さかさ柏
2015年06月28日 天然記念物「さかさ柏」往古、甲越戦に際し甲斐の将、武田信玄はここに馬を駐め、敵状を偵察しながら手にした柏の杖を逆さに挿した。(史実・海の口の合戦)後に、この杖から芽を吹き今日に至ったものといわれ、… 続きを読む さかさ柏
海ノ口城
2015年06月28日 城の構造本丸背後の堀切が極めて深く又大きいことは他に比べても少ない。水の手は南方約280メートル下った谷間にある。本丸は約230平方メートル(約70坪)あり、二の曲輪、三の曲輪の跡もあるが今は荒れ… 続きを読む 海ノ口城
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