2003年09月23日 ここから南方の総合体育館裏山までの約2千メートルの間が望月城跡であり、望月氏の居城である。本地が本城で、主郭から三の郭までが構築され、南方の支城には五の郭までが確認できる。雄大にして堅固な山城で、… 続きを読む 望月城
カテゴリー: 長野県
猿ヶ馬場峠
2003年09月22日 猿ヶ馬場峠を越えるとその先には川中島平が開ける。武田信玄が信州の強敵を討ち滅ぼし、越後の上杉謙信との間で死闘が繰り広げられる川中島への出口の峠として、なんだか重要な意味を持つ峠のように思っていまし… 続きを読む 猿ヶ馬場峠
勘助宮
2003年08月15日 勘助宮跡は、この地より北東約100メートルの位置にあった。勘助宮はもともとは北小森集落の氏神で、建御名方神を祭る諏訪社であった。遠い戦国の世、上杉・武田両軍の数度にわたる戦いがあり中でも永禄4(1… 続きを読む 勘助宮
胴合橋
2003年08月15日 討死した山本勘助の首と胴体とを合わせたところと伝えられている。川中島古戦場の横にある釜飯のおぎのやの更に隣にある食事処そば蔵の敷地内にある。駐車場に入ればすぐに案内板があるので場所はわかると思いま… 続きを読む 胴合橋
雨宮の渡し
2003年08月15日 史跡雨宮渡案内図 川中島合戦と雨宮渡雨宮渡は、往時北国街道の要衝にあって、千曲川渡船場として川中島平の死命を制するほどの重要な拠点でもあり、戦術戦況を左右する場でもあった。史上名高い川中島の戦いは… 続きを読む 雨宮の渡し
小岩嶽城
2003年07月05日 小岩嶽城址について当城は、中世の古厩郷の領主古厩氏の宿城と考えられ、城域は、今の小岩岳集落も含めた広範囲とされ、現在も集落内には空掘の一部と地割が見られます。また本郭は約1平方キロメートル、その平… 続きを読む 小岩嶽城
勝見城
2003年06月29日 人文社の長野県広域道路地図を見ながら国道141号線を北上していたら勝見城という城跡が地図にあったので寄ってみることにしました。場所は佐久町から十国峠に向かう299号線と余地峠に向かう下仁田・佐久線… 続きを読む 勝見城
笠原城
2003年04月03日 笠原城は、甲斐武田氏の佐久侵攻に対し、最後まで抵抗した志賀城主笠原新三郎の詰城である。天文17(1548)年武田信玄は自ら出馬して志賀城を攻めた。城主笠原新三郎および応援の上野・甘楽菅原城主高田憲… 続きを読む 笠原城
城山
2001年04月28日 参加者:PSアドバイザー、総支配人ルート:藤沢→厚木→相模湖I.C→須玉I.C→清里(休憩/朝食)→海ノ口城跡→同コースを逆戻りして帰宅 海ノ口城は甲陽軍鑑によると武田信玄が初陣で攻め落としたとさ… 続きを読む 城山
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