2009年05月04日 城ノ峰城址跡 城郭についての初見は弘治2(1556)年7月19日付の上杉方高梨政頼の今清水氏宛ての感状に「綿内要害落城の砌、最前に入馬し相戦之由、粉骨比類なし」(今清水文書)とある。綿内要害は武田… 続きを読む 綿内要害(春山城)
カテゴリー: 長野県
和合城
2009年05月04日 和合城は岩鼻の断崖上にあるとのことでした。周辺で聞いた情報によるとベイシアフードセンター坂城店の裏の方に登り口があるとのことで現地に行ってみました。太郎山コースとして鼠宿→和合城跡→虚空蔵山→西峠… 続きを読む 和合城
耕雲寺
2009年05月04日 武田信玄公が開基とのことで立ち寄りましたが、突然来られても困るとのことで詳しいことは分かりませんでした。本堂の屋根には武田菱の家紋でした。 この寺は信玄および勝頼の信仰が篤く、寺号も信玄によるもの… 続きを読む 耕雲寺
矢島城
2009年05月04日 子供と共に掃除をしていたおじさんに矢島城について聞いてみたのですが、気さくに教えてくれました。現地に行ってみると大きな空堀があってその先には黒い石の供養塔らしきものとお稲荷様がありました。 矢島城… 続きを読む 矢島城
千見城
2009年05月03日 千見城攻防の詳細(戦国時代)■天文21(1551)年信玄の臣山県昌景の軍勢に攻められ激戦の末、主将大日方源吾長辰は討死にし、以降大日方氏は武田に服属する。■弘治元(1555)年武田晴信は、地侍大日… 続きを読む 千見城
柏鉢城
2009年05月03日 東西12間(約22m)、南北18間(約32m)。虫倉山の西にある。言い伝えによれば、弘治・永禄年中に武田の家臣市川梅印という者が居住したという。(長野県町村誌より) 廣福寺に車を止めて、近所の方を… 続きを読む 柏鉢城
小川村郷土歴史館
2009年05月03日 小川村役場で真名板城の場所を聞いたときに、役場の人が小川村郷土歴史館に行けば大日方氏に関する展示をしているので是非行ってみてくださいと教えてくれました。 鎧兜 川中島の合戦で実際に使用されたもの。… 続きを読む 小川村郷土歴史館
真那板城
2009年05月03日 山の中段にあり、北は険しく東西二百余間(約360m)の中に、中の城、天神城があり、峰続きの長い城である。北東に当たって五町(約545m)余有、谷川を隔てて根古屋がある。地名を下垂、また霜末という。… 続きを読む 真那板城
明松寺
2009年05月03日 当山は大町市平駒沢にある大沢寺の末寺です。その開基は今から約四百年前の戦国時代にさかのぼります。天文21(1552)年7月、小川城主大日方直政の時代に、甲斐の武田信玄が安曇から小川に侵攻してきまし… 続きを読む 明松寺
小川城(古山城)
2009年05月03日 古山城跡本地域は、長野県最古の古文書である「天養文書」に初見される、最勝寺領小川庄に属する。古山城は純然たる山城で、標高860mの山頂にあり、本丸、旧本丸、本郭、曲輪、空掘、詰城などの形跡を残して… 続きを読む 小川城(古山城)
神宮寺
2009年05月03日 武田の史跡めぐりをしていることを伝えたら一室に案内され住職が対応してくれた。武田信玄から十貫文の寄進を受けたことが伝わっているとのことでした。また平倉城の城主の祈願所でもあったとのことでした。今回… 続きを読む 神宮寺
玉泉寺
2009年05月03日 この寺の前身は真言宗の宝泉寺といわれ、永禄年間には武田信玄が十貫文を寄進した。本堂の裏山には弘治3(1557)年平倉城で武田軍に囲まれて戦死した飯森春盛の墓があり、その位牌や遺品の数珠が寺に残され… 続きを読む 玉泉寺
平倉城
2009年05月03日 平倉城には以前行ったことがあるのですが、夕方だったこともあり秋葉様のところまで行ってその先の道が分からなくなってしまったので勇気を出して撤退していたのです。いつかは一番上まで登りたいと思っていまし… 続きを読む 平倉城
塩島城
2009年05月03日 史跡塩島城址戦国時代、信州の地は上杉・武田両氏の激突する舞台となったが、安曇地方も両勢力の争いの余波を受けて戦乱が絶えなかった。塩島城は、姫川を挟んで三方が断崖をなす要害の地を占め、戦略的には海陸… 続きを読む 塩島城
黒川居館跡
2009年05月03日 黒川居館跡ここは中世の土豪千国氏の居館跡である。数度の地震や姫川の浸蝕で、村人が「本丸」と呼んでいた中心部のわずかな部分を残し、南側が広範囲に抜け落ちているが、現在地すぐ後ろの低い所は空濠で、その… 続きを読む 黒川居館跡
極楽寺
2008年12月30日 最初は小県郡海野の辺にあったが、第12代の了専の時に武田信玄の命令によって、筑摩郡栗林の地に朱印を賜って移住した。その後、現在地に移った。(長野県の武田信玄伝説より) 極楽寺は松本市内の中心街にあ… 続きを読む 極楽寺
牛つなぎ石
2008年12月30日 永禄11(1568)年1月12日、本町と伊勢町との辻角に建つ「牛つなぎ石」に越後の武将上杉謙信公の義侠心に依る塩を積んだ牛車が塩の道を通りたどりついたと伝承されて居ります。当寺松本地方は甲州の雄武… 続きを読む 牛つなぎ石
康楽寺
2008年12月29日 康楽寺略縁起開基・西仏坊(別名、幸長・通広、浄寛・最乗坊信救・木曾大夫房覚明)は、清和天皇の後裔、海野小太郎信濃守幸親の子として、天養元(1144)年、信州小県郡海野庄(現上田市大屋)に生まれ、南… 続きを読む 康楽寺
福徳寺
2008年12月29日 昔は更級郡杵淵村にあったが、川中島合戦後に現在地に移った。天文22(1553)年、武田信玄が寺領50貫文を寄付した。(松代風土記・長野県の武田信玄伝説より) 火焔のない不動明王元禄14(1701)… 続きを読む 福徳寺
東光寺
2008年12月29日 保延年中(1135~41)に村上義重が開山したが、文安5(1448)年落雷によって堂塔ことごとく焼失した。その後、天文20(1551)年3月に中興された。同22年に武田信玄が海津城を築造した時、城… 続きを読む 東光寺
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