2012年11月18日 この館跡は中世の武士の館跡であり、志久見集落の西の高台、内池と呼ばれる地にあります。館跡は平安時代末から戦国時代までこの地の領主であった市河氏に関係するものと伝えられています。田んぼの整備などによ… 続きを読む 内池館
カテゴリー: 長野県
西敬寺
2012年11月18日 当寺の開基である下総の岩倉刑部親経は親鸞聖人が善光寺に参拝した際弟子となり釈善巧と称し、建長7(1255)年更埴市倉科に一寺を建立し西敬寺と称した。その後、永禄年間(1560年頃)中野市牛出に移る… 続きを読む 西敬寺
光蓮寺
2012年11月18日 今回はお寺の方にお会いすることができました。武田氏の墓などがあるのか確認したところ、こちらのお寺の住職が武田という苗字とのことで、住職の墓はあるとのことでした。この日はお寺の行事が行われていて忙し… 続きを読む 光蓮寺
心川関所跡
2012年01月01日 この奥100mのところに、心川関所跡があります。この関所は、弘治2(1556)年に戦国大名武田信玄によって設置され、その後、阿島の旗本知久氏が明治の初めまで代々管理してきました。当時この道は三州街… 続きを読む 心川関所跡
帯川関所跡
2012年01月01日 武田信玄西進にあたり、弘治2(1556)年遠州街道を押さえるため関所を作る。関所跡は前方右側の畑にあり、面積1畝18歩、江戸時代は知久氏預かり、明治2年廃止となる。(看板資料より) 関所は弘治2(… 続きを読む 帯川関所跡
駒場城
2012年01月01日 本城は中世に構築されたと言われる、戦国時代の遺構を残す「山城」である。城域は狭いが小高い独立線峰で、西側を除く三方向を遠方まで望見できる。また、交通の要所「駒場」を眼下に見る、戦略的に重要な位置を… 続きを読む 駒場城
尼寺遺跡
2011年12月31日 この地を字名で尼寺窪とよんでいる。古老の話によると茅葺のお堂があったと話してくれた。堂平に日輪寺があったとされているが、おそらくこの寺に女性が住めなかったと思われる。そこで寺から離れたこの土地に尼… 続きを読む 尼寺遺跡
旧富士浅間神社跡
2011年12月31日 旧富士浅間神社跡万延元(1860)年以前までは、ここに富士浅間神社があり、各家の床下の土を持ち寄り60年に一度大きな富士塚と神社を造り祭事を行ってきました。「浅間」は荒ぶる神、火の神であることから… 続きを読む 旧富士浅間神社跡
寺山砦
2011年12月31日 平安時代、「上の平城」に伊那源氏の祖源為公が城を構え栄えた頃、村人が外敵から身を守るために山の上に身を隠した避難所ではないかと思われます。城構えは極めて簡単で、山頂を平らにした方形の小郭があり、そ… 続きを読む 寺山砦
古式部城
2011年12月31日 古式部城は、ここから西方に伸びる山道を200mほど登った峰の頂上に位置している。東方から連続する山々から西方に伸びる峰の突出した高台にあり、箕輪町北小河内と辰野町樋口との境界にあたる。また標高は1… 続きを読む 古式部城
峰畑城居館跡
2011年12月31日 峰畑城は本格的な山城ではなく、城主の居館に接続する土地の一部を城として築いたもので、戦国時代にはこのような城塞を「掻き上げ」とか「砦」といった。主郭は御社宮司社の道を挟んで向かい側、天竜川を見下す… 続きを読む 峰畑城居館跡
峰畑城
2011年12月31日 この場所は城跡で、天正年中(1573~92)に武田氏に仕えた駒沢新左衛門がここに拠っていた。地元の人がこの地を掘って陶器の破片を得ることがある。駒沢氏は諏訪50騎の一人である。(長野県の武田信玄伝… 続きを読む 峰畑城
文永寺
2011年12月31日 阿弥陀堂 堂内の御本尊、無量寿如来(阿弥陀如来)像は足利時代の有名仏師春日の作と伝えられ、総高245糎の寄木造りの木造仏である。屋根棟にある白色十六弁菊型は皇室の御紋章で当寺が勅願寺の故である。(… 続きを読む 文永寺
狼煙台跡
2011年12月31日 今は昔のように電信電話や有線もなく、ましてラジオはなかった。それで遠方との通信は「火」や「煙」で知らせあったという。柿の沢野田の裏山には、盛り上がった台のような盛り土がいくつか並んでいる。これはそ… 続きを読む 狼煙台跡
加々須の茶臼山
2011年12月31日 昔は今のように電話やラジオなどの通信機関が発達していなかったので、山の上で狼煙を上げたり、夜火を焚いたりして連絡を取り合った。戦国時代、武田信玄は各地の見晴らしのよい所に連絡を取るための山を用意し… 続きを読む 加々須の茶臼山
小野川関所跡
2011年12月31日 この関所は弘治年間(1555~58)に網掛峠から神坂峠を越えて木曽に通ずる要路を押さえるために、武田信玄が設置したものである。(長野県の武田信玄伝説より) ここにあった小野川の関所は、戦国時代に武… 続きを読む 小野川関所跡
武田信玄火葬塚
2011年12月31日 一ノ瀬義法氏の「武田信玄終焉地考」によると、阿智村の長岳寺には「信玄の火葬場」というものが伝えれているとのことでした。以下同本より文章を抜粋します。—–ここには「武田信玄公… 続きを読む 武田信玄火葬塚
羽場城
2011年12月31日 羽場城の由来内堀、中堀、外堀の址が今も残っている羽場城址は今からおよそ450年前、天文のはじめに下伊那松尾の城主小笠原貞宗の四男、小笠原重次郎がこれを北の沢を濠として建てたといわれている。その後武… 続きを読む 羽場城
五輪塚
2011年12月31日 下辰野のお宮の裏手に三坪ほどの塚があり、武田信玄がここで討ち死にした墓だと伝えている。信玄は桔梗の花が大変好きだったので塚の周りには今でも桔梗の花が咲く。もともと石だけ残っていたものを、明治の頃近… 続きを読む 五輪塚
祝神社
2011年12月30日 延喜式内社埴科郡5社の一つで千年以上の歴史を有す。松城城下時代は町方の産土神、総鎮守社として祀られ、いまも親しみを込めて「お諏訪さん」と呼ばれている。慶長3(1598)年に、生魂命は東条から、健御… 続きを読む 祝神社
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