馬場美濃守信房之碑(馬場美濃守信房の墓、同彦五郎勝行の墓)

2014年08月15日 馬場美濃守信房之碑 馬場信房戦死之地から少し南に行ったところに馬場美濃守信房之碑があります。ここには馬場美濃守信房の墓、同彦五郎勝行の墓と書かれた看板があります。また、いろはがるたの看板もあり、「… 続きを読む 馬場美濃守信房之碑(馬場美濃守信房の墓、同彦五郎勝行の墓)

橋詰殿戦場

2014年08月15日 武田軍総崩れとなり、殿(しんがり)をつとめた馬場信房らは、勝頼が落ち延びていく姿を確認してこの地で最後の戦いを行った。 2003年10月12日 武田軍総崩れとなり、殿(しんがり)をつとめた馬場信房… 続きを読む 橋詰殿戦場

馬場美濃守討死之地

2014年08月15日 緒巻桜馬場美濃守は当地に於いて主君勝頼を見送った後、この緒巻桜の下にて首を与えたという。道標「ふぢう道」は対岸より設楽原決戦におもむく武田軍がこの道を通り、出沢、浅谷を経て行った道であることを示す… 続きを読む 馬場美濃守討死之地

法性寺

2014年03月29日 信玄公が撃たれた場所1573(元亀4)年野田城を武田軍が攻めた折、信玄は毎晩城内から流れてくる松村芳休の吹く見事な笛の音をこの場で聞き惚れていた。そこを、鳥居半四郎という鉄砲の名手が城内から発砲。… 続きを読む 法性寺

野田城

2014年03月29日 この城は、永正5(1508)年に築城されたと伝えられる。菅沼定則、菅沼定村、菅沼定盈等がここを居城とした。城郭は南北に長く、北より三の丸、二の丸、本丸と続くいわゆる連鎖式の山城である。東西両側は谷… 続きを読む 野田城

石橋城

2014年03月29日 石橋城縄張概図 石橋城は、奥平二代貞久の次男、弾正久勝が最初の城主で、近辺の地名「石橋」を称し、三代貞昌の家臣となった。久勝の子、弾正繁昌は、天文6(1537)年9月、主君への謀反が露見し、四代貞… 続きを読む 石橋城

甘泉寺

2014年03月29日 当山は応安3(1370)年9月に臨済正宗20世弥天永釈大和尚により開山された。時の将軍足利義満公の帰依もあり、御朱印高48石、山林境内20余町歩の寄進があった。和尚の死後、応永22(1316)年、… 続きを読む 甘泉寺

古宮城

2014年03月29日 当城址は、甲斐の武田信玄が三河進出の拠点とするため、宿将馬場美濃守信房に命じ元亀2(1571)年に築城したと伝わる。城域は南北約200メートル、東西約250メートルの独立した小山全体からなっている… 続きを読む 古宮城

文殊山城

2014年03月29日 この城跡は、亀山城主の奥平氏の砦城で、元亀年間(1570~1572)に武田氏との和睦の証として、塞之神城とともに築く予定であったが、延引したため武田氏より強談に合い奥平氏が一夜にしてこれを築いたの… 続きを読む 文殊山城

川尻城

2014年03月29日 川尻城冠木門 川尻城は応永年間(1394~1428年)に奥平貞俊によって築城された中世の平山城である。標高570メートル、比高差40メートルの独立丘で、山上の本丸は東西75メートル、南北32メート… 続きを読む 川尻城

亀山城

2014年03月29日 虎口 天授年中(1375~1380)上野国甘楽郡奥平郷より奥平貞俊作手に至る。作手領主山崎三郎左衛門高元を頼り鴨ヶ谷甘泉寺に寓居し、勢力人望を得て川尻城を築き更に亀山城を築きこれに移る。初代貞俊以… 続きを読む 亀山城

石筒ヶ根古戦場

2014年03月29日 作手亀山城主奥平貞能は、お家存続のために武田方・徳川方の両方に揺れ動いていた。天正元(1573)年8月20日夜、徳川方に味方することにした一族は、武田勢力の強い作手を脱出し、戦いに有利な宮崎滝山城… 続きを読む 石筒ヶ根古戦場

田原坂旧道

2014年03月29日 額田町史によると、1573(天正元)年に奥平軍は滝山合戦で敗れた武田軍を田原坂まで追って戦った。武田方は奥平定包を殿軍としたがこの戦いで戦死したとのこと。奥平定包は奥平貞勝の伯父にあたる人である。… 続きを読む 田原坂旧道

久保城

2014年03月29日 久保城由来ここは久保城、または稲荷屋敷と呼ばれる城址(史跡)である。作手亀山城主奥平貞昌が戦国時代に築いた城で、男川と稲荷沢に挟まれた尾根の端に位置している。標高は176m、高低差は30mあり、三… 続きを読む 久保城

奥平九八郎貞勝の墓

2014年03月29日 奥平家の先祖は上野国に住んでいましたが、南北朝時代、作手に来住し勢力を伸ばしました。戦国時代になって、奥平九八郎貞勝が当主になったころは、今川、織田、武田、徳川の強豪に囲まれていて、家の存続をはか… 続きを読む 奥平九八郎貞勝の墓

広祥院

2014年03月29日 住昔往古は真言密乗の宗旨で深恩院総持寺と称し、創建は吉野朝時代建武年中(約640年前)足利源尊氏公征夷大将軍となり、執権高師重に台命し当地に八幡の社と合併せし堂宇伽藍を建立し、大日如来を本尊として… 続きを読む 広祥院

日近城

2014年03月29日 本丸 日近城の歴史日近城は標高約270メートル、比高70メートルの尾根の先端に築かれ、守りを意識した山城で、砦、詰城として利用した。広祥院由緒書によれば、奥平三代目貞昌が文明10(1478)年日近… 続きを読む 日近城

華蔵院

2014年03月29日 戦国時代奥平氏は、今川、織田、武田、徳川の覇者に囲まれた中で、三河作手に拠点を置き勢力の拡大を図ってきた。元亀元(1570)年武田方であった時、本家奥平貞能は次男仙丸(10歳)と日近の奥平貞直の娘… 続きを読む 華蔵院