2004年05月01日 天正4(1576)年勝頼は高天神城の防衛拠点として相良城を築いた。その場所は定かではないが「高天神記」に「同12日相良へ出給い、湊の脇に城取有り高坂弾正縄張也」とあり、同年3月勝頼が兵糧を高天神に… 続きを読む 相良城
投稿者: mogibushi-takeda
江尻城
2004年05月01日 昔この江尻小学校および中部電力清水営業所の敷地周辺に江尻城(小芝城)がありました。戦国時代駿河国を治めていた今川義元が、永禄3(1560)年尾張国の桶狭間で織田信長の奇襲にあい戦死した後、永禄11… 続きを読む 江尻城
横須賀城
2004年05月01日 横須賀城立体模型 横須賀城の歴史戦国時代末期この地方は西の徳川勢力と東の武田勢力との境界地帯となって攻防が続いていました。天正2(1574)年遠江国の要である高天神城が武田氏の手に落ちました。天正… 続きを読む 横須賀城
地蔵峠
2004年04月30日 地蔵峠には下の写真のような地蔵がありました。峠にその旨の看板があるので場所はすぐに分かると思います。秋葉街道(国道152号線)は標高が高いところを南アルプスに沿って南北に走っていると思っていたので… 続きを読む 地蔵峠
矢立て木
2004年04月30日 大鹿村指定天然記念物 矢立て木由緒戦国末期から江戸時代初期にかけて、遠山地方の豪族遠山氏が武田、徳川両氏に仕え、参勤の途上この樹に矢を射立てて武運を祈り且つ吉凶を卜したと云う。明治の中頃、立木処分… 続きを読む 矢立て木
夏目次郎左衛門吉信の碑
2004年04月30日 夏目次郎左衛門は三方原合戦で徳川家康の身代りとなって討ち死にした徳川軍の将です。おかげで家康は無事浜松城に逃げ帰ることができました。
本多肥後守忠真顕彰碑
2004年04月30日 この碑は、本多肥後守忠真の忠義を称えて、第17代本多子爵により明治24年に建立されました。本多忠真は徳川草創期を支えた徳川四天王の一人である本多忠勝の叔父にあたる武将です。本多忠真は三方原の戦いで… 続きを読む 本多肥後守忠真顕彰碑
能見城
2004年04月24日 穴山駅から南に向ってすぐに能見城と書かれた看板が山の斜面にあり、そこから更に少し南にいったところから左折して山を登っていく道があります。能見城入口と書かれた小さな看板があるので分かると思います。少… 続きを読む 能見城
国峰城
2004年04月03日 国峰城は中世における大城郭である。他に類例を見ない特異な構造を示し、山城部・丘城部、平城部が南北2.5km、東西2kmの間に展開している。山城部は標高434mの城山山頂を本郭とし、西側の尾根上を掘… 続きを読む 国峰城
吉岡城
2004年3月13日 吉岡城と下條氏吉岡城は文明7(1475)年室町時代中期に下條氏第6代康氏によって築城され、以降7代120年間本拠地とした城である。城郭は下條氏の勢力拡大に伴って拡張し完成された形状は連郭式平山城で東… 続きを読む 吉岡城
津久井城
2004年02月15日 三増峠の合戦の際に信玄が小幡尾張の軍勢で津久井城を抑え、その後の合戦を有利に展開したのだそうです。津久井湖畔の「県立津久井湖城山公園花の苑地」に車を止めてすぐ近くの登山道入口から登り始めました。3… 続きを読む 津久井城
米倉寺
2003年11月23日 井宝山米倉寺と号し、曹洞宗に属す。天文元(1532)年の開創で、開山は天宥宗高大和尚(秦野市堀山下の米倉一族の菩提寺、蔵林寺の二世)。由緒によれば往古この地に用国院と呼ぶ寺院があり、伊豆の普門院を… 続きを読む 米倉寺
馬場跡・日枝神社・花籠の台
2003年11月23日 馬場跡その昔は鉄砲馬場であったが、戦前は廻り馬場となり、当時は草競馬が年に数回行われ賑やかだったといわれている。また、この付近には「五十塚」と「六十塚」という地名があり永禄9(1566)年小田原攻… 続きを読む 馬場跡・日枝神社・花籠の台
ヤビツ峠
2003年11月23日 ヤビツ峠はカタカナの名前ですが、峠道の工事の際に矢櫃(やびつ:矢を入れる入れ物)が発見されたからだそうです。きっと矢櫃の櫃の字が難しいのでカタカナになったのかもしれません。永禄12(1569)年に… 続きを読む ヤビツ峠
蔵林寺
2003年11月23日 ここには米倉丹後守一族の墓地があります。蔵林寺と書かれた入口に車を止めて中に歩いて行きましたが寺の境内には立派な駐車場がありました。そのまままっすぐに進むと本堂と思われる建物があり、向かって左側の… 続きを読む 蔵林寺
信玄芝原
2003年11月22日 永禄12(1569)年、武田信玄が小田原攻めを行う時、戦勝祈願のため寒川神社に立ち寄り、兵を休めたところと伝えられています。この時奉納された、天文6(1537)年明珍房宗作の六十二間筋兜は寒川神社… 続きを読む 信玄芝原
角間渓谷
2003年11月03日 角間渓谷案内信濃耶馬渓とも呼ばれるこの渓谷は旧角間火山に烏帽子岳(2065米)が噴出して、火口を押しせばめてできた大渓谷である。旧火山の集塊岩に新たに噴出した角閃安山岩等が迫って多年の浸蝕作用で巧… 続きを読む 角間渓谷
二連木城
2003年10月12日 元亀2(1571)年武田信玄は、三河に侵入して足助城、大沼城、田代城などの城を落としそのまま尾張に出撃する勢いでしたが、その後突然南下して菅沼定盈が守る野田城から吉田城へ向かいます。徳川家康は武田… 続きを読む 二連木城
設楽原歴史資料館
2003年10月12日 設楽原史跡めぐりのポイント設楽原・長篠の史跡めぐりをする際の拠点及び情報収集の場としてまずこの設楽原歴史資料館に寄ることをお勧めします。新城市役所の方にも寄らせていただきましたが、文化財等に関する… 続きを読む 設楽原歴史資料館
八剱表激戦地
2003年10月12日 徳川家康本陣地から武田軍の陣地の方へ向かっていくと途中、東郷中学校の校庭の横に「八剱表激戦地」の看板がありました。家康物見塚より更に織田・徳川連合軍側に深く入り込んだところであり、こんなところで激… 続きを読む 八剱表激戦地
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