2016年02月21日 蓮臺山由緒略記によりますと、当時の阿弥陀寺の住職清玉上人は、本能寺の変を聞き、大恩ある織田家の一大事と僧を引き連れ本能寺に駆けつけたが、明智の軍勢が四方を囲み寺内に入れず裏道より辛うじて入った。し… 続きを読む 信長首洗い池
投稿者: mogibushi-takeda
本能寺
2016年02月21日 信長公廟信長が光秀の謀反により無念の自刃を遂げたのは天正10(1582)年6月2日早朝のことだった。本能寺の変である。そのころ当寺は四条西洞院にあり四町四面の広大な寺域、周囲に堀と土塁その内部に七… 続きを読む 本能寺
本能寺跡
2016年02月21日 本能寺跡記応永22(1415)年御開山日隆聖人は、本門八品の正義を弘通せんがため、油小路高辻と五条坊門の間に一寺を建立して「本応寺」と号されたが、後に破却されたので、永享元(1429)年小袖屋宗句… 続きを読む 本能寺跡
木戸口神社
2016年01月31日 木戸口神社の由来木戸口とは昔の関所の代役をして居た所で此の口を通りて木戸坂、赤渋平、我党場に至り、此の地より二手に別れ一筋は逆さの平から大石峠を経て、松原湖より今の南佐久方面に至り、他の一筋は我党… 続きを読む 木戸口神社
源太ヶ城
2015年11月21日 海岸寺の北西にそびえる双峰の山を源太山と呼ぶ。この山の北側は急傾斜であるが、尾根が東に延びて東の山に続く。また南斜面は比較的緩やかである。この尾根は海岸寺の北でくびれ、ここを海岸寺峠と呼ぶ。現在大… 続きを読む 源太ヶ城
松岡城
2015年10月12日 一の曲輪(曲輪Ⅰ) 松岡城は天竜川の河岸段丘の先端部に築かれた平山城である。北を間ヶ沢、南を銚子ヶ洞の谷によって区切られ、東は段丘下段の平地と、その先の天竜川に臨み、西方のみが平地につながっている… 続きを読む 松岡城
大島城
2015年10月12日 台城公園案内図 大島城は一名台城、又の名大蛇ヶ城という。平安時代末期船山城主片桐為行の第8子八郎宗綱が大島郷へ分知して大島氏を称し、この地に城を築いたが、始めは簡単な砦程度のものであったらしい。そ… 続きを読む 大島城
飯島城
2015年10月12日 本城 飯島城は別名、本郷城という。平安時代から室町時代末に至る四百有余年にわたり伊那地方に栄えた信濃の名族・片切氏の支族飯島氏によって築城されたもので、天正10(1582)年に織田信長の伊那侵攻に… 続きを読む 飯島城
西岸寺
2015年10月12日 臨照山 西岸寺この寺は弘長元(1261)年北條時頼が帰依した中国から来朝の大覚禅師によって開山された。二世大通禅師は寺の基礎を固め大覚禅師の尊像を開山堂に安置し初祖の偉業を称えた。六世大徹和尚は至… 続きを読む 西岸寺
長春寺
2015年10月12日 天正10(1582)年織田軍の兵火により、この寺は赤須城もろとも灰塵に帰した。(長野県の武田信玄伝説より) 2008年11月02日 長春寺に到着すると境内からは煙が立ち込めていました。ちょうどご婦… 続きを読む 長春寺
赤須城
2015年10月12日 駒ヶ根市指定史跡 赤須城跡赤須城跡は、南は宮沢川の浸蝕による自然の堀、北方は田沢川の深い谷で遮断され、東は峻立する急斜面という自然の地形を巧みに利用した要害の地で、東西900m、南北400mの範囲… 続きを読む 赤須城
兵越峠
2015年10月12日 この峠を兵越峠と名づけたのは武田信玄が上洛を志ざし、元亀3(1573)年10月3日(新暦11月18日)約2万5千の大軍を率いて信濃国遠山領を通って、青崩峠の少し手前で分隊し、一隊はこの兵越峠も越し… 続きを読む 兵越峠
青崩峠
2015年10月12日 静岡県指定史跡 海抜1082メートル青崩峠は遠州と信州の国境にあって古くからある信州街道(秋葉街道ともいう)の峠である。この道は昔から海の幸や山の幸が馬や人の背によってこの峠を越して運ばれたことか… 続きを読む 青崩峠
信玄滝
2015年10月12日 戦乱おさまらぬ元亀(1573)、甲斐の雄武田信玄は三河攻めを行う際にこの地を訪れた。滝は豪快に水を壷に叩き落している滝をみていると轟音とともに繁吹が信玄の身を覆った。顔を洗おうとした時、水面は鏡の… 続きを読む 信玄滝
龍渕寺
2015年10月12日 当山の開創は大永元(1521)5月遠山郷和田城主遠山遠江守景廣が親交のあった遠江城飼郡川村庄牛渕(現静岡県小笠郡菊川町牛渕)極楽寺二世宗誉和尚を請せしも老令の放と以って固辞し第2法子洞光和尚来りて… 続きを読む 龍渕寺
和田城
2015年10月12日 遠山氏の出目については、梶原景時の子孫とも、藤原氏の美濃遠山氏と同族であるともして、諸説粉々として不明である。戦国期になり、和田城主となった遠山遠江守景広の時に、初めて諸古文書中にその名が現われ、… 続きを読む 和田城
提灯ずるね
2015年10月12日 提灯ずるね(尾根)つつじ公園武田軍は大軍がいるかの如く見せかけるため、提灯を掲げかがり火を焚き、山本勘助が一本松(史跡天然記念木山本勘助物見の松)に登り、神之峰床山城の状況を偵察、一気に夜間改め入… 続きを読む 提灯ずるね
追取り
2015年10月12日 追取様の由来中世における山城、神ノ峰床山城が半月に及ぶ武田軍との攻防戦の末落城し烏有と化した。時に天文23(1554)年9月のことである。知久信貞以来、300年に亙って南信濃に君臨してきた知久氏の… 続きを読む 追取り
山本勘助物見の松
2015年10月12日 山本勘助物見の松は一本松、ジタジタ松ともいう。知久氏攻略に進んできた武田の武将山本勘助は、喬木村富田を経て、柏原に侵入、この松によじ登り南正面に見える神之峰床山城を遠望すると、天然要害の地に立つ城… 続きを読む 山本勘助物見の松
ジタジタ峠
2015年10月12日 天文23(1554)年武田信玄の率いる武田軍は小笠原氏の鈴岡城を攻め落し、その勢いをもって下久堅の文永寺を焼き払い、竜東の雄、諏訪氏の流れの知久頼元の居城神の峯攻略のためここに立った。時に8月中旬… 続きを読む ジタジタ峠
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