実際寺

2007年12月01日

この寺の境内は天文年中(1532~55)の下曽根中務大輔賢範の居館の跡だという。今も境内から民有地に至る7,80間に堀や土塁を構えた跡が残っている。賢範は武田信重の庶男8代奴白の弟である。その後、尊根源六郎信辰の弟源七弥左衛門尉は天正3(1575)年5月の長篠合戦で戦死した。
(山梨県の武田氏伝説より)

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