2014年01月04日 折花姫ジジイ宮の由来についてここから袖平山に連なる尾根を可愛尾根と言います。(カワイ尾根)その昔、村里の言い伝えによると武田勝頼が滅亡し、武田24将のひとり都留の城主小山田信茂の一族のひとり小山田… 続きを読む ジジイ宮
月: 2014年1月
折花神社
2014年01月04日 北丹沢、神ノ川流域「折花神社」の由来折花神社には幾つかのいわれがあります。そのひとつは、折花姫の父は武田勝頼の家臣で小山田六右ヱ門といい、武田家滅亡と共に、この地へ逃れたものの敵の手により悲しい最… 続きを読む 折花神社
首洗池
2014年01月04日 寸沢嵐首洗池の言い伝え武田信玄は、永禄12年8月総勢2万の軍勢を率いて甲府を出発。信州佐久を経て碓氷峠を越え、長躯して関東諸城を攻略し、遂に北条氏康の居城小田原城を攻撃して目的を達した。甲州への帰… 続きを読む 首洗池
浅利明神
2014年01月04日 甲斐源氏の後裔、浅利右馬助信種は武田方の侍大将で、24将の1人にかぞえられた勇武の人と伝えられています。史書によると、永禄12(1569)年10月の三増合戦に時、信種は武田軍の左翼にあって奮戦して… 続きを読む 浅利明神
三増峠
2014年01月04日 三増峠は志田山塊の東端「下の峰」にかかる峠路で、三増峠越え、または三増通りの名がある。中世の頃は、信濃(長野)・甲斐(山梨)から鎌倉に向う古街道であった。永禄12(1569)年北条・武田両軍が戦っ… 続きを読む 三増峠
志田峠
2014年01月04日 志田峠志田峠は、志田山塊の峰上を三分した西端にかかる峠で愛川町田代から志田沢に沿ってのぼり、津久井町韮尾根にぬける道である。かつては切通し越え、志田峠越えの名があった。ここは永禄12(1569)年… 続きを読む 志田峠
旗立て松
2014年01月04日 旗立て松の由来永禄12(1569)年10月6日、三増の山野で甲斐の武田信玄と小田原の北条氏康とが戦った。旗立て松はこの三増合戦のおり、信玄が大将旗を立てた跡である。北から西へ連なる三増の山並みを越… 続きを読む 旗立て松
三増合戦場
2014年01月04日 三増合戦のあらまし永禄12(1569)年10月、甲斐(今の山梨県)の武田信玄は、2万の将兵をしたがえて、小田原城の北条氏康らを攻め、その帰り道に三増峠を選んだ。これを察した氏康は、息子の氏照、氏邦… 続きを読む 三増合戦場
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