八王子城

2014年01月26日 八王子城の縄張八王子城の構造八王子城は、深沢山(城山)山頂に本丸を置き、周辺に延びる尾根や細かく入り組んだ谷、麓の平地など、自然の地形を利用して築かれた戦国時代の城郭です。城の構造は、山頂や尾根は… 続きを読む 八王子城

滝山城

2014年01月26日 天野坂から桝形虎口へ大手口と思われる天野坂からの掘底道は、城兵が効果的に攻撃できるよう工夫されている。小宮曲輪と三の丸の間には桝形虎口(出入口)が設けられていた。攻めのぼる敵側にとっては大変な驚異… 続きを読む 滝山城

千本浜の首塚

2014年01月18日 戦国時代、沼津周辺では小田原北条氏と甲州武田氏の勢力争いが激しく、とくに天正8(1580)年の千本浜の合戦は激戦であった。明治33年、暴風雨で倒れた松の大木の下からたくさんの頭蓋骨が発見され、地元… 続きを読む 千本浜の首塚

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カテゴリー: 沼津市

興国寺城

2014年01月18日 興国寺城は戦国大名北条早雲(伊勢宗瑞)が初めて城主となった城であり、彼の旗揚げの城としても有名な城です。早雲ははじめ伊勢新九郎長氏と称し、駿河守護今川義忠の側室であった妹を頼って今川家に身を寄せて… 続きを読む 興国寺城

戸倉城

2014年01月18日 戸倉城復原図 戸倉城は戦国時代北条氏綱(1486~1541)が築いたという。主曲輪は本城山の頂上にあって、東西40メートル・南北30メートルの平場で、もとは土塁がめぐっていたという。東側に一段下が… 続きを読む 戸倉城

山本八幡宮

2014年01月18日 八幡宮で、祭神は応神天皇だが、この神社の社叢を多田の森といい、祭神は多田満仲(源満仲)だともいわれる。山本氏神社である。(看板資料より)

山本勘助誕生地

2014年01月18日 「山本勘助誕生地」碑武田信玄に仕えた軍師山本勘助は、山本の吉野に生まれた人であるといわれ、同家の門前に「山本勘助誕生地」の碑が建てられた。吉野家は南北朝時代に当地に居住したといわれる旧家で、勘助は… 続きを読む 山本勘助誕生地

源立寺

2014年01月18日 小田原の北条氏は、豊臣秀吉が天下を統一した時に臣下の礼をとらなかったことを理由に天正18(1590)年に攻撃を受けて落城し、悲劇的な末路をたどることになった。その当主(4代)氏政の墓が、本市場の南… 続きを読む 源立寺

医王寺

2014年01月18日 山本勘助のお墓生誕地は富士市山本、明応2年吉野貞幸、安女の三男源助として生まれ、12才で三河国牛窪、大林左衛門の養子となり名前を勘助と改めた。しかし実子が生まれたため、35才の時に離縁し山本勘助と… 続きを読む 医王寺

善得寺

2014年01月18日 史跡善得寺跡本寺は、貞治2(1363)年、大勲策禅師が上杉憲顕の援助によって開山した寺で、戦国期には河東第一の伽藍を誇り、善得寺城をも併設したといわれ、天文年間に今川、武田、北条氏の駿河東部を中心… 続きを読む 善得寺

葛山館跡

2014年01月18日 葛山館跡は、12世紀前半(平安時代)から16世紀後半(室町時代)にかけ、東駿一帯に勢力を振るっていた葛山氏が平時居住していた館を構えた地である。館跡は、東西約97メートル、南北約104メートルで約… 続きを読む 葛山館跡

葛山城

2014年01月18日 葛山城は鎌倉・室町・戦国期を通じて、関東一帯に勢力を持った葛山氏の本拠地である。この地には葛山氏が平時居住した館跡と、戦闘に備えて築城した城跡があり、中世城郭の形態を明確に知ることができる数少ない… 続きを読む 葛山城

田代城

2014年01月04日 田代城は室町時代の山城で、自然の地形をそのまま要害とした武士の居館であった。築城の年月は不詳。城域は23,300平方メートルほどの広さをもち、南の方を表口としていた。城主は小田原北條氏の幕下にあっ… 続きを読む 田代城

胴塚

2014年01月04日 胴塚永禄12(1569)年10月、当町三増の原で行われた「三増合戦」は、甲州の武田、小田原の北条両軍が力を尽くしての戦いだったようで、ともに多くの戦死者が出た。そのおり、討ち取られた首級は、ここか… 続きを読む 胴塚

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カテゴリー: 愛川町

首塚

2014年01月04日 首塚不動明王を祀る小高い所を首塚という。宝永3(1706)年建立の供養塔がある。このあたりは、三増合戦(1569)のおり、志田沢沿いに下ってきた武田方の山県遊軍が北条軍の虚をつき背後から討って出て… 続きを読む 首塚

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カテゴリー: 愛川町

法印の首塚

2014年01月04日 戦国争乱の世、上洛し、天下に覇をなさんとの野望に燃える甲斐の武田信玄は、諸将に大軍を引きつれ小田原に北条氏を攻めた後、相模川沿いに北上し、三増峠(愛川町と津久井町との境)を突破せんとする時、北条方… 続きを読む 法印の首塚

バアバア宮

2014年01月04日 都留の城主、小山田信茂の一族、小山田六左エ門は武田滅亡の後、大月市岩殿城より小田原北条氏をたより落ちて行きました。その途上焼山登山口、青野原で六左エ門は討たれました。今でもその場所には河原石に甲州… 続きを読む バアバア宮