2012年02月19日 勝間田城は後に、今川氏や武田氏により改築されたと考えられており、特に多くは武田氏によるものと考えられ武田式の手法、及び規模が各所で見出される。この勝間田城は全域に特色ある明瞭な遺構を残し、種々の時… 続きを読む 勝間田城
年: 2012年
可睡斎
2012年02月19日 可睡斎の由来可睡斎は600年前(応永8年)、如仲天誾禅師によって開創された曹洞宗屈指の名刹です。11代住職仙麟等膳大和尚は、幼い家康を戦乱から救ったことがあり、後に家康が浜松城主になった折、報恩の… 続きを読む 可睡斎
田中城
2012年02月19日 田中城本丸跡田中城は同心円形に四重の堀と土塁で造られていたが、本丸は四角で480坪(1580㎡)と小さく、本丸内には御殿やお亭のみで天守閣のような建物はなかった。(看板資料より) 田中城案内図 田… 続きを読む 田中城
飯田城
2012年02月19日 築城の年代は定かではないが応永の初め頃、天方城主の山内対馬守が武略をもって飯田の荘を取り、この地に城を築いてここに移り天方城は弟の山城守に譲った。永禄年代、対馬守の子孫、通泰の代に徳川家康に攻めら… 続きを読む 飯田城
崇信寺
2012年02月19日 築城の年代は明らかではないが、室町時代の初期(約600年前)に山内道美(対馬守)が築いたといわれている。永禄の末か元亀の初め頃(約400年前)山内通泰(大和守)の時に徳川家康に攻められて落城し以降… 続きを読む 崇信寺
和田ヶ島砦
2012年02月12日 砦跡は、天竜川を挟んで二俣城の対岸、約650mの地点にある。阿多古川と天竜川の合流点にある標高30m余の突出した尾根の先端部に築かれたもので、地元ではこの山を「とりて山」と称している。天正3年、二… 続きを読む 和田ヶ島砦
孕石館
2012年02月12日 掛川市の北部に蛇行する原野谷川が、孕石天神の北側にあたり、数十mの断崖を半円形に東側から南へ迂回して流れており、館跡はこの崖上にある。孕石氏は主水元泰の時に今川氏から駿府に屋敷を賜り在勤したが、永… 続きを読む 孕石館
勝坂城
2012年02月12日 勝坂城砦は、気田川に囲繞され、西南嶺は鹿ヶ鼻から峰伝いに信州街道に接続しており龍頭山、秋葉山を経て犬居本城と往来した天野氏が、軍略上最も頼みとした堅固な砦であった。その起源は定かではないが、元弘元… 続きを読む 勝坂城
笹峰城
2012年02月12日 城址は三方を大きく気田川に囲まれた尾根上にあって、この尾根は気田の北方赤岡方面の高地から気田川と杉川に挟まれて南下し、両川の合流地の金川から西に折れて深く延びる尾根で、城址はその尾根の端に所在し、… 続きを読む 笹峰城
若子城
2012年02月12日 大洞沢から少し登った所に本丸があり、「遠江国風土記伝」には、「大洞は地名、若子は城名なり、奥山加賀守定吉之を築く、領地は奥山の半分並に雲名、信濃国遠山宇津宇連、三河国奥村郷、都合三千五百貫なり、兄… 続きを読む 若子城
高根城
2012年02月12日 高根城概略図 高根城公園案内図 高根城は遠江最北端に位置する山城で、標高420m・比高150mの通称三角山の山頂部を中心に築かれている。城址からは水窪町中心部及び北遠江と南信濃を結ぶ主要街道を見下… 続きを読む 高根城
足柄城
2012年01月14日 足柄城は国境の城としての性格を持ち、本格的に築城工事が行われ、城としての形態が整えられたのは後北条氏の治世下である。その時期がいつかは不明だが、「相州古文書」に足柄城普請についての記事(天文24年… 続きを読む 足柄城
全龍寺
2012年01月09日 武田信実(信虎七男)の長男である信俊は幕府旗本となったが、分家は川窪を称した。全龍寺は信俊六男の信通家の菩提寺で墓碑が四基残る。(甲斐の虎信玄と武田一族より)
平林寺
2012年01月09日 見性院の宝篋印塔 見性院は武田信玄の二女で武田家の有力武将である穴山信君(梅雪)の正室である。実名は定かではないが、法名を見性院殿高峯妙顕大姉という。梅雪の死後、夫梅雪と懇意であった家康に養われ、… 続きを読む 平林寺
本土寺
2012年01月09日 長谷山本土寺は、建治3(1277)年豪族平賀忠晴の屋敷内に、日蓮上人の弟子日朗を導師として招き、開堂したのが起こりです。本土寺は池上の「長栄山本門寺」、鎌倉の「長興山妙本寺」とともに「朗門の三長三… 続きを読む 本土寺
武田信道および家臣供養塔並びに屋敷跡
2012年01月08日 武田信道及び家臣供養塔 都史跡武田信道および家臣供養塔並びに屋敷跡甲州武田信玄の孫信道夫妻およびその子信正は、元和元(1615)年大久保長安の罪に連座して大島に配流された。この時8人の家臣が主に従… 続きを読む 武田信道および家臣供養塔並びに屋敷跡
心川関所跡
2012年01月01日 この奥100mのところに、心川関所跡があります。この関所は、弘治2(1556)年に戦国大名武田信玄によって設置され、その後、阿島の旗本知久氏が明治の初めまで代々管理してきました。当時この道は三州街… 続きを読む 心川関所跡
帯川関所跡
2012年01月01日 武田信玄西進にあたり、弘治2(1556)年遠州街道を押さえるため関所を作る。関所跡は前方右側の畑にあり、面積1畝18歩、江戸時代は知久氏預かり、明治2年廃止となる。(看板資料より) 関所は弘治2(… 続きを読む 帯川関所跡
駒場城
2012年01月01日 本城は中世に構築されたと言われる、戦国時代の遺構を残す「山城」である。城域は狭いが小高い独立線峰で、西側を除く三方向を遠方まで望見できる。また、交通の要所「駒場」を眼下に見る、戦略的に重要な位置を… 続きを読む 駒場城
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