2009年08月11日 創建は、鎌倉時代後期の正安2(1200)年に安芸国守護であった武田信宗によって甲斐から勧請された。祭神には、清和源氏の武田氏の先祖である源義光(新羅三郎ともいい平安中期の武将)が祭られ安芸武田氏の… 続きを読む 新羅神社
年: 2009年
立専寺
2009年08月11日 もとは、武将山金龍院といい、銀山城主武田氏の菩提寺であった。その後武田氏の衰亡により廃寺となったが、天文4(1535)年僧正春によって再興され武将山立専寺と改称された。本堂は明治34(1901)年… 続きを読む 立専寺
武田氏の墓
2009年08月11日 ここの「銀山城武田の墓」と記した、石標は皇紀2千6百年の記念事業として、武田山顕彰会によって建てられたものです。ここには、松と桜と竹があり、小石を沢山集めて造った小山が三ヶ所あります。五輪の塔もあ… 続きを読む 武田氏の墓
欽明寺
2009年08月10日 旧山陽道の欽明路東部に位置する日蓮宗の宝光山欽明寺は、寺伝によれば欽明天皇御環幸の際、この地に御輿をたてられたので欽明寺と名づけられたといわれる。鎌倉時代には禅宗であったが、延徳3(1491)年に… 続きを読む 欽明寺
周防源氏武田家屋敷跡
2009年08月10日 戦国時代の天文9(1540)年11月、安芸源氏の武田小三郎公は毛利元就公の援助により欽明路に移り、周防源氏の祖となり刑部少輔と称しました。その後、織田・豊臣時代を経て、徳川時代に至り、代々功績をあ… 続きを読む 周防源氏武田家屋敷跡
下畑城
2009年05月05日 町指定文化財 下畑城跡下畑部落の西方、南北に連なる段丘崖上にある。南端の堀切は現在中畑から大久保に通ずる道路敷になっている。ここから北方に向って尾根を数条の深い堀切によって横に断ち切り、三つの郭を… 続きを読む 下畑城
湯原城
2009年05月05日 湯原城には永正年間から湯原氏が拠っていたが、大永年間頃相木氏系依田氏がこれを奪って在城した。依田氏は武田氏が佐久に侵入するとこれに降り、その後も続いて在城したものと考えられている。城に近い湯原神社… 続きを読む 湯原城
日向城
2009年05月05日 伝説的には長坂釣閑斎の居城とされているが、これについて「南佐久郡古城址調査」では「長坂釣閑斎光堅は甲州逸見筋長坂に其宅址があり、其所には土塁・隍等の跡があったと云へば、甲州に居て信玄・勝頼に仕へた… 続きを読む 日向城
耳取城
2009年05月05日 天文12~13(1543-1554)年頃、佐久は甲斐から侵入した武田氏の支配下に入ったが、耳取城主大井安満も武田氏に降っている。武田氏滅亡後は一時関東から入った北条氏に属したが、天正10(1582… 続きを読む 耳取城
玄江院
2009年05月05日 玄江院は、文正元(1466)年の創立にして、耳取白合の地にあり、臨済宗天竜山萬福寺と称し開基は鷹取城主大井貞隆、平賀城主大井貞親の2氏の建立による。天文21(1552)年、兵火の為焼亡せり。弘治元… 続きを読む 玄江院
森山城
2009年05月05日 天文9(1540)年から天文13年頃にかけて、佐久はおおむね、甲斐の武田氏に降るが、その中に森山成繁・満繁もいた。武田氏滅亡後、森山氏は、いち早く徳川家康の配下依田信蕃に従い、軍功を立てているが、… 続きを読む 森山城
正眼院
2009年05月05日 平原城探索の際車を止めさせてもらったのですがその後訪ねてみました。すると境内に平原氏の供養塔があるとのことで案内してもらいました。裏手にまわって入っていったらさきほど対応してくれた方が待っていてく… 続きを読む 正眼院
平原城
2009年05月05日 平原城が記録上はっきりしてくるのは平原全真からである。依田氏の系統に属するといわれる平原氏は、いつの頃からか上野に移り、後閑城にいたが、永正~大永年間の頃、村上義清の支援を得て平原に入ったのが平原… 続きを読む 平原城
富士見城
2009年05月05日 日本城郭大系によると、武田氏が小諸鍋蓋城を佐久の一基地とした時、その支城として築かれたものであろうか?とのことで立ち寄ってみました。住所が飯綱山だったので飯綱山公園を目指しました。小諸高原美術館の… 続きを読む 富士見城
堀ノ内城
2009年05月05日 「長野県町村誌」では諏訪刑部左衛門頼角の居城としており、一説では布引氏の詰城ともいわれている。布引氏の居館は西北西約2kmの断崖下にあり、天文~永禄年間、楽厳寺城主楽厳寺雅方と行動を共にした布下仁… 続きを読む 堀ノ内城
枡形城(山田城)
2009年05月04日 戦国動乱期の弘治3(1557)年の「上杉景虎書状」には「敵方の相拘之候地利より山田之要害ならびに福島之地を打明也」(色部文書)とある。これによって高梨氏が武田氏の北信濃侵攻によって敗れ、上杉氏を頼… 続きを読む 枡形城(山田城)
鞍骨城
2009年05月04日 善光寺平や更埴市東部を見下ろす格好の地、鞍骨山頂にあるこの城は清野氏の主城であった。清野氏は村上氏に属し、代官九家の上座に列したという。その後甲斐武田方に、当地の地侍中もっとも早く出仕したことが「… 続きを読む 鞍骨城
上杉謙信陣屋敷跡
2009年05月04日 下克上の戦国時代、天文22(1553)年から永禄7(1564)年の11年間、北信濃の覇権を懸けて激しい攻防を繰り返した、越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄。上杉謙信は、大軍を山狭に潜ませるには極めて都… 続きを読む 上杉謙信陣屋敷跡
金堀地蔵
2009年05月04日 戦国時代の若武者が蓮台寺境内で昼寝をしていた折、夢枕に立った地蔵のお告げで大金を掘り当て、その礼にこの地蔵菩薩を造立したという。また天正10(1582)年武田氏滅亡後、この埋蔵金を知る武将格の落武… 続きを読む 金堀地蔵
綿内要害(春山城)
2009年05月04日 城ノ峰城址跡 城郭についての初見は弘治2(1556)年7月19日付の上杉方高梨政頼の今清水氏宛ての感状に「綿内要害落城の砌、最前に入馬し相戦之由、粉骨比類なし」(今清水文書)とある。綿内要害は武田… 続きを読む 綿内要害(春山城)
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