2005年08月04日 穴山梅雪墓 天正10(1582)年に、織田信長が明智光秀に殺された本能寺の変が起こったとき、泉州堺(大阪府堺市)に滞在していた徳川家康は、京都を避けて急いで居城の三河(愛知県)の岡崎城に帰るため、… 続きを読む 飯岡共同墓地(穴山梅雪墓)
年: 2005年
新羅三郎義光の墓
2005年08月04日 新羅三郎義光の墓 新羅三郎は、源義光のことで源頼義の子にあたります。兄に源義家、源義綱がいます。新羅三郎というのは園城寺の北院の鎮守新羅明神をまつる新羅善神堂の神前において元服したことにちなむもの… 続きを読む 新羅三郎義光の墓
真田庵(善名称院)
2005年08月03日 県指定文化財 真田屋敷跡戦国の武将、真田昌幸・真田幸村父子は慶長5(1600)年関ヶ原の戦で西軍に味方して敗れ、高野山に配流の身となったが、後九度山のこの地で蟄居生活をした。昌幸は、慶長6(161… 続きを読む 真田庵(善名称院)
上杉謙信・景勝霊屋
2005年08月03日 高野山奥の院の参道には上杉謙信の墓もありました。奥の院入口の案内板には上杉謙信・景勝霊屋と書かれていましたが、場所は武田信玄・勝頼供養塔をすぎてすぐに反対側あたりのはずでした。注意深く探しながら歩… 続きを読む 上杉謙信・景勝霊屋
小田原北条家墓所
2005年08月03日 小田原北條氏の興亡(1495~1590)小田原北條氏は、伊豆韮山城主伊勢新九郎早雲が明応4(1495)年箱根山を東に越え、小田原城に大森氏を逐って西相模に進出し、その子氏綱が小田原を根城としたのが… 続きを読む 小田原北条家墓所
武田信玄・勝頼供養塔
2005年08月03日 和歌山県指定文化財史跡 武田信玄・勝頼の墓指定年月 昭和43年4月16日武田信玄は上杉謙信とともに乱世を生きた戦国武将であるが、性格直情の中にも文を学び神仏に帰依してその墓所を奥の院の一隅に求めた… 続きを読む 武田信玄・勝頼供養塔
勘助坂
2005年07月03日 祖父貞久は、長男貞宗に家督を譲り、吉野本家の近くの石の宮に次男貞幸を連れて隠居したといわれています。ここは勘助が子供の頃遊んだ「勘助坂」と言い伝えられている急坂であります。竹馬に乗った勘助が近所の… 続きを読む 勘助坂
茅小屋金山・内山金山
2005年07月03日 湯の奥金山(茅小屋・内山金山)毛無山の山腹には甲斐武将武田信玄公の採掘した金鉱坑の遺跡がある。これを湯の奥金山という。天文年間(1540年頃)より採掘が行われ、天明年間(1780年頃)閉山になって… 続きを読む 茅小屋金山・内山金山
中山金山
2005年07月03日 中山金山登山口(広河原) 毛無山の山腹には甲斐の武将武田信玄公の採掘した金坑の遺跡がある。これを湯の奥金山という。湯の奥金山には中山、茅小屋、内山の三ヶ所の金坑があり、その中で最も大掛かりに採掘さ… 続きを読む 中山金山
牛久保城
2005年05月05日 牛久保城付近の古図 この地にあった牛久保城は、享禄2(1529)年一色城主牧野成勝が、今橋城主(のちの吉田城主)の信成の命を受けて築城したといわれています。扇状台地の端につくられた平城で、南は遠く… 続きを読む 牛久保城
石倉城
2005年05月05日 石倉城鳥瞰図 石倉城は文明17(1485)年上野国守護代で蒼海城主の長尾忠房の嫡子、長尾憲景が築城した。応仁の乱が終わって8年後(1477)のことである。当時の利根川の本流は現在の広瀬川周辺より左… 続きを読む 石倉城
平井城
2005年05月01日 平井城築城平井城は永享10(1438)年に勃発した永享の乱に際し、時の関東管領山内上杉憲実が、総社(蒼海)の長尾忠房に命じて築城したとされる説と、応仁元(1467)年に上杉顕定が築城したとされる説… 続きを読む 平井城
金窪城
2005年05月01日 金窪城跡は、神流川に臨む崖上に残る平城の跡で、別名たや城とも呼ばれた。平安末期の治承年間(1177~1181)に武蔵七党の一党である丹党から出た加治家治の構築と伝えられ、元弘年間(1331~133… 続きを読む 金窪城
陽雲寺
2005年05月01日 陽雲寺は曹洞宗の寺で、鎌倉時代初期の元久2(1205)年の創建と伝えられ、初め唄樹山満願寺と称したという。元弘3(1333)年新田義貞が鎌倉幕府打倒を祈願して不動堂を造立したことが寺伝にみられ、以… 続きを読む 陽雲寺
輪禅寺
2005年05月01日 武田氏一族の墓域輪禅寺は、江戸時代、上横田を治めた武田新十郎信俊が父信実(武田信玄の異母弟)の追福と一族の菩提寺とするために、慶長13(1608)年、既にあった安養寺を廃し、新たに建立した寺です。… 続きを読む 輪禅寺
正龍寺
2005年05月01日 曹洞宗の寺院で、高根山藤源院といいます。正龍寺の創立は、花園城主藤田五郎政行で、高嶺山に筥根権現を祭り、一寺を創立す、といいます。能国の時代、文治4(1187)年城下に青龍が出現し、龍泉の湖をつく… 続きを読む 正龍寺
顕徳寺
2005年04月30日 天正10(1582)年、武田勝頼が織田、徳川、北条などに攻められた時に、真田昌幸が武田勝頼を岩櫃城に迎え入れるために岩櫃城搦手付近にあたる場所に御殿を建てました。しかし武田勝頼は岩櫃城に来ることな… 続きを読む 顕徳寺
前橋城(厩橋城)
2005年04月30日 前橋城碑の解説前橋は古くは厩橋といった。東山道の群馬の駅が近く、それが地名の起りであろうという。厩橋城が築かれたのは15世紀末頃で、初代城主は箕輪城主長野氏の一族長野左衛門尉方業(法号固山宗賢)と… 続きを読む 前橋城(厩橋城)
尻高城
2005年04月30日 尻高城跡案内図 尻高城応永8(1401)年3月白井城主長尾重国の家臣により築城が始まる。同十年完成。重国の三男重儀城主となり尻高氏を名乗り左馬頭と号す。小屋の村落の東北方の「ゆうげい」と呼ぶ岩山が… 続きを読む 尻高城
並木城
2005年04月30日 尻高城の里城であるが、現在は城跡のみである。南からの比高は10m以上、東からも5m高く、この両方向には腰曲輪様の部分も認められる。東から南に、幅25m長さ100mの鍵形の部分が武者走りで、その西の… 続きを読む 並木城
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