武田八幡宮

2013年09月07日 二の鳥居 武田八幡宮は弘仁13(822)年勅命により土地の神、武田王の祠廟に九州宇佐八幡を勧請し併祀して創建されたという。武田王は日本武尊の御子で武田村の桜の御所でこの土地を治められた。さらに清和… 続きを読む 武田八幡宮

熊野神社

2013年12月22日 この神社は、甲斐源氏義清が甲斐の目代(代官)として、平塩に館を構えていたとき守護神として祀ったのが始めで、その後、平塩地内の諸神をここに集め祀ったと伝えられている。本殿はその縁起は明確ではないが、… 続きを読む 熊野神社

椿城

2013年12月22日 本重寺本堂 この城は小笠原次郎長清の孫、上野六郎盛長がここ上野の地に築いたもので、上野城といったが附近に椿が多いところから椿城と呼ぶようになった。その後、武田十世信武の二男信明が観応年間(南北朝時… 続きを読む 椿城

円光院

2013年09月01日 円光院は、武田信玄公の先祖・逸見太郎清光が創建、清光院と号し、小石和に在り後、武田信守が父・信重の牌寺とし、成就院と改め永禄3(1560)年信玄公が当地に移し甲府五山の一つ円光禅院と改めた。元亀元… 続きを読む 円光院

積翠寺

2013年06月29日 積翠寺と要害山 甲斐国志によると開山は行基、夢窓国師の弟子竺峰が中興したという。慶安元(1648)年、仰厳恵高の時代に妙心寺派に転派する。境内に泉が湧き出ていて巨岩から滝になっていたところから、も… 続きを読む 積翠寺

熊城

2012年04月30日 目印の吸殻入れ 4月15日に一度熊城に挑戦したのですが、その時は要害城で知り合った安中市の方と一緒に要害城の裏手から熊城を目指しました。最初の案内板の所では右に進みしばらく歩くと上の写真の所に出ま… 続きを読む 熊城

要害城

2013年06月29日 要害城全景 川田の館から甲斐府中への移転を決めた武田信虎は永正16(1519)年夏頃から新館の建設に取り掛かり12月に入居しているが、自らが移転するだけではなく服属する国人達にも移住を強要した。こ… 続きを読む 要害城

武田神社(武田氏館跡、躑躅ヶ崎館跡)

2013年09月01日 国指定史跡武田氏館跡別名躑躅ヶ崎館跡と呼ばれる史跡武田氏館跡は、永正16(1519)年に武田信虎によって築かれ、信玄・勝頼と武田三代の本拠地として使用されました。二町(200m)四方の規模を誇る主… 続きを読む 武田神社(武田氏館跡、躑躅ヶ崎館跡)

武田不動尊

2004年12月30日 武田不動尊永禄年間武田信玄公は穂坂の牧の一部であった地蔵ヶ原の開拓を志し附近の住民をこの地に集め屋敷を与え租税を免除して新田を開発し竜地宿をつくった。当時武田家からの朱印状は石柩に長く保存されてい… 続きを読む 武田不動尊

義清神社

2004年08月14日 源義清館跡と義清塚源義清は甲斐国に源氏の勢力を最初に扶植した人物である。大治5(1130)年の「清光濫行」(『長秋記』)を契機として、天承元(1131)年ごろ、義清・清光父子は常陸国那珂郡武田郷(… 続きを読む 義清神社