天輪寺跡

2012年04月15日 穴山信介の墓 穴山信介は武田信重の子で武田信守の弟。兵部少輔を称し、穴山氏を嗣ぐ。下山天輪寺にあった碑子によれば、父信重に先立って宝徳2(1450)年3月19日に逝去したという。法名天輪寺英中俊公… 続きを読む 天輪寺跡

大島の古戦場

2010年03月22日 ここは大永元(1521)年今川の将福島正成が侵入し、武田勢と戦った所と伝え、戦死者の供養塔という五輪塔一基が残る。(山梨県の武田氏伝説より) 個人の土地であるとのことで今回特別に許可をもらって撮影… 続きを読む 大島の古戦場

賀茂神社

2010年03月22日 神宝に信玄奉納の短刀・数珠・中啓・毘沙門・不動の画像などがある。(山梨県の武田氏伝説より) 鎮座地 – 身延町下山大工町御祭神 – 天津日髙彦穂瓊瓊杵尊草創 –… 続きを読む 賀茂神社

常葉氏館跡

2010年03月22日 常葉氏は秋山光朝の別れといわれる。館跡といわれる場所の周辺には、城台・御城平・関口・城の下・城の道・木戸口などの関連地名が残されているが、館跡は現在小中学校敷地となっていて館の形態を留めていない。… 続きを読む 常葉氏館跡

東前寺

2010年03月22日 信玄の嫡子義信が父に謀反を起こしたとされる事件の時、常葉氏は飯富兵部に内通していたとして処分された。その供養のために穴山氏の臣馬場氏が、元亀年間(1570~73)にこの寺を創建したと伝えられている… 続きを読む 東前寺

妙園寺

2010年03月22日 祖師堂 妙円寺の境内は馬場丹後守忠次の屋敷跡といわれ、坊平からここに移ってきたと伝える。(山梨県の武田氏伝説より) 参道を登り、途中左側に本堂があって、更に先に進むと祖師堂がありました。桜が開花し… 続きを読む 妙園寺

輪鳴地蔵

2010年03月22日 ①勝坂は旧久那土村から旧富里村へ越す峠で、今は身延線一之瀬トンネルになっている。昔、武田信玄がこの峠で休息した時眠気を催し、夢の中に地蔵様の姿を拝した。信玄は目覚めると腰の矢立を取って、付近の石に… 続きを読む 輪鳴地蔵

久遠寺

2013年12月22日 三門 古く寛永19(1642)年、26世日暹上人のとき、伏見宮邦房親王の第8王子尊賀院日廷上人が普請奉行として建築されたが、慶応元(1865)年に焼失し、明治40(1907)年78世日良上人の代に… 続きを読む 久遠寺

龍雲寺

2007年11月18日 華岳山龍雲寺本尊:聖十一面観音開山:悦江聚観和尚開基:穴山甲斐守信綱創立:享禄3(1530)年当寺の前身は、現地より500メートル奥の不動滝の平に不動明王を祀り創庵した。後現地に移った。開基穴山信… 続きを読む 龍雲寺

中山金山

2005年07月03日 中山金山登山口(広河原) 毛無山の山腹には甲斐の武将武田信玄公の採掘した金坑の遺跡がある。これを湯の奥金山という。湯の奥金山には中山、茅小屋、内山の三ヶ所の金坑があり、その中で最も大掛かりに採掘さ… 続きを読む 中山金山

大聖寺

2013年12月22日 建物について当寺の堂塔伽藍は甲斐源氏一統の帰依により巨大かつ荘厳美を極めていたと伝えられているが、時代が下ってからでは慶長3(1598)年と安永5(1776)年に火災で焼失している。現在の建物は安… 続きを読む 大聖寺

南松院

2013年12月22日 正福山南松院正面庭園は夢窓国師作庭と伝えられている。二段式廻廊庭園である、池中の亀石は南松院夫人(武田信玄姉)が穴山信友に嫁ぐ際、父信虎に請い持参したと伝えられる武田家伝来の霊亀石である。新庭園・… 続きを読む 南松院

法寿寺

2010年03月22日 竹重の法寿寺は山号を妙延山といい、今は日蓮宗であるがもと真言宗で明王寺の別院であったといわれる。その境内に寺の鎮守として八幡堂が祀られているが、これは大井源三郎信豊が霊夢のお告げによって祀ったもの… 続きを読む 法寿寺

源太ヶ城

2015年11月21日 海岸寺の北西にそびえる双峰の山を源太山と呼ぶ。この山の北側は急傾斜であるが、尾根が東に延びて東の山に続く。また南斜面は比較的緩やかである。この尾根は海岸寺の北でくびれ、ここを海岸寺峠と呼ぶ。現在大… 続きを読む 源太ヶ城

風林火山館

2008年04月05日 主殿内部 以下はボランティアの説明を参考としています。風林火山館は2007年のNHK大河ドラマ「風林火山」のロケ現場となったところです。私は今回ここに来てボランティアの説明を聞くまで、中井貴一が武… 続きを読む 風林火山館

鐙堂観世音

2015年06月28日 鐙堂観世音由緒本尊十一面観世音菩薩は弘法大師の御霊作にして今より九百余年前武田氏始祖新羅三郎義光公は京師にありしが兄義家公奥羽征伐の軍利あらざるを聞き、官を棄てて赴援す。此の行に念持仏として常に崇… 続きを読む 鐙堂観世音

古宮城

2008年01月03日 此の地は甲斐国志が記す古宮の城迹である。戦国時代の頃、武田家に仕えて甲信の国境警護に任じた武士団津金衆の旗頭津金氏歴代の居城で城迹の規模は縦118間(212m)横65間(117m)二重の湟を回らし… 続きを読む 古宮城