2014年07月12日 栗原氏と栗原氏屋敷跡について栗原氏の発祥は清和源氏武田氏から分流した親族であり、武田の祖信義から7代の孫甲斐守護職武田刑部大輔信成の子、武田十郎武続が東郡栗原郷を領して栗原を称したことから始まって… 続きを読む 大翁寺
史跡一覧
腹切地蔵尊
2013年09月21日 小田野山の南麓にあり、大字西保中に通ずる県道西保線(旧秩父裏街道)にそって祀られている石仏である。土地のものは通称「腹切地蔵さん」と呼ぶ。甲斐源氏の一族で鎌倉初期この地を領した安田義定の生害の地と… 続きを読む 腹切地蔵尊
養安寺
2014年07月12日 浄土宗 養安寺本尊阿弥陀如来由緒當寺儀ハ清和天皇ヨリ六代伊豫守頼義三男新羅三郎義光ヨリ11代武田刑部大輔信成四男栗原十郎武續五代栗原伊豆守信友開基開山ハ晃譽然公ト申ス天文21年4月21日信友卒ス。… 続きを読む 養安寺
聖徳寺
2013年09月21日 武田信縄塔のことについて聖徳寺の方に尋ねてみたところ、住職はお彼岸で外出しているとのことで詳細なことは分かりませんでした。 有形文化財 伝武田信縄塔 室町時代の作 戒名 長興院殿孚山邦公大禅定門 … 続きを読む 聖徳寺
雲光寺
2013年09月21日 雲光寺はほ保元3(1158)年に甲斐源氏安田遠江守義定が開基し、真言宗の僧都了寿阿闍梨を開山として創建された。応永2(1395)年に夢窓国師の高弟・絶海中津和尚によって真言宗から禅宗となった。安田… 続きを読む 雲光寺
伝安田義定の墓
2013年09月21日 伝安田義定の墓この付近一帯の集落は御所と呼ばれ、安田義定の御所が置かれたと伝えられています。安田義定は、長承3(1134)年源義清の子として若神子(北杜市)に生まれ、八幡荘、牧荘、安多荘を中心に現… 続きを読む 伝安田義定の墓
天神社
2013年09月21日 本殿 天神社の創立についての詳細は不明ですが、中世には武田氏の崇敬をうけていました。この本殿は大永2(1522)年に武田信虎によって再建されたことが、山梨市大工の丸山家所蔵の古文書及び「甲斐国志」… 続きを読む 天神社
窪八幡神社
2013年09月21日 窪八幡神社鳥居(重要文化財) 鳥居は、神社境内から東方に離れた参道にあって、神門を望む位置に建てられています。建立年代は「王代記」の記載から天文9(1540)年と考えられています。木造鳥居としては… 続きを読む 窪八幡神社
板額塚
2014年07月12日 板額塚由来境川村小黒坂小字柳原のこの地は古くより板額塚と口伝されてきたところである。両側の里道は板額坂と呼ばれている古道である。この板額塚は浅利与一義成の妻板(坂)額の塚と言われている。板額女は鎌… 続きを読む 板額塚
諏訪南宮神社
2014年07月12日 笛吹市指定文化財諏訪南宮神社扉絵この扉絵は金箔押しの板戸に濃彩で杉や松、雲形も描かれている。また裏は桜絵となっている。甲斐国志に「扉は逍遥軒信綱寄附ニテ松杉桜等四季ノ草花ヲ描ク。一社分ノ扉ハ今下曽… 続きを読む 諏訪南宮神社
常楽寺
2014年07月12日 穴山伊予守と一族郎党の廟所 童女のてまり歌にうたわれた「一に花鳥ニに小山三につらいは常楽寺」は、小山城主穴山伊予の悲運を今に伝えています。穴山伊予守は甲斐源氏で南部領主(南巨摩郡)穴山信懸の次男で… 続きを読む 常楽寺
蓮朝寺
2014年07月12日 原加賀守昌俊公の墓 原加賀守は、甲斐の国主・武田家の譜代家老として信虎、信玄の2代に仕えた武田家の重臣で、ことに陣場奉行としてその重責を果す。天文18(1549)年に身延山より蓮朝の法名を受け、当… 続きを読む 蓮朝寺
長昌院
2014年07月12日 天正10(1582)年の春はまだ肌寒い風が吹いていました。甲斐国主武田勝頼公は、織田徳川の連合軍に追われて、韮崎に造ったばかりのお城を焼いて、わずかな供を連れて甲州街道を落ちていきました。落人の中… 続きを読む 長昌院
泉龍寺
2014年07月12日 油川山泉龍寺宗派 曹洞宗本尊 十一面観世音菩薩開創 永正11甲戌(1514)年開基 油川入道加賀守信友 戒名 泉龍寺殿新應長壽大居士開山 顧山恵鑑大和尚(三星院第7世) 油川の由来中世は油川庄… 続きを読む 泉龍寺
坊ヶ峯(勝負ヶ池)
2007年04月15日 棒ガ峰の頂上に小池があり、勝負ヶ池と呼ぶ。常に水をたたえて涸れることなく、旱天の時には里人がここに来て雨乞いをすれば必ず効験があるといわれる。武田五郎信縄の弟油川彦八郎信恵、同四郎義仲らが勝山城に… 続きを読む 坊ヶ峯(勝負ヶ池)
小山城
2005年08月27日 小山城は浅川扇状地北端の小丘を利用して構築された面積12.046平方メートルの規模を有する武田時代の城である。城の南辺の土塁は一部削平されているが、他は良く遺されている。土塁は底辺が約15メートル… 続きを読む 小山城
清道院
2014年07月12日 武田信成公館跡 黒印地 竜沙山清道院寺記当山ハ武田11代刑部太輔信成公ノ夫人清道院殿ノ菩提寺ニシテ境内ハ信成公ノ居城「赤甲城」ナリ。信成公信州へ出陣中落城夫人城内ノ井戸ニ身ヲ投ジ自害ス時ニ応永5年… 続きを読む 清道院
芍薬塚(伝・武田勝頼遺児の墓)
2014年07月12日 天正10(1582)年3月武田勝頼は新府城から岩殿山目指して落ちていった。この時武田の臣渡辺加兵衛久郡は主君勝頼の命により一族を率い、ひそかに2歳になる幼主(男子)を自分の在所である鎮目村にかくま… 続きを読む 芍薬塚(伝・武田勝頼遺児の墓)
大蔵経寺
2014年07月12日 松本山大蔵経寺当山は、養老年間行基菩薩の創建になると伝えられ、青獅山松本寺と称した。応安3(1370)年甲斐国守武田信成が伽藍を修造し、足利義満の庶子観道上人を講じて中興開山とし、真言宗に改め、そ… 続きを読む 大蔵経寺
山梨岡神社
2014年07月12日 鎮座地春日居町大字鎮目字宮の前1696番地由緒延喜式神名帳に載る古社で、旧社格は郷社である。人皇10代宗神天皇のとき、国内に疫病が流行し災害も多い故、勅命により御室山頂に創祀され、その後、成務天皇… 続きを読む 山梨岡神社