2009年09月20日 当寺は520年余前、室町時代中期・当時上総の国一円を支配した真里谷城主武田信興(甲斐武田氏の同族)が開基となり密山正厳禅師を開山として寛正5(1464)年に創建された千葉県における曹洞宗の古刹であ… 続きを読む 真如寺
史跡一覧
真里谷城
2009年09月20日 主郭(千畳敷) 「まりか谷城」とも呼ばれた真里谷城は、戦国時代の初期にあたる康正2(1456)年、上総国に進出した甲斐(現山梨県)の武田信長が庁南城(長生郡長南町)とともに上総地方を支配するため築… 続きを読む 真里谷城
中尾城
2009年09月20日 主郭の神社 この中尾城は、真里谷信興が真里谷城の支城として明応年間に築いたものといわれている。また、『笹子落草子』と二部作になる『中尾落草子』に、落城に至る経過が書かれているが、真偽は不明である。… 続きを読む 中尾城
笹子城
2009年09月20日 笹子城は、真里谷城主であった真里谷信興が支城として文明年間に築いたといわれている。この真里谷氏の内紛で、天文12(1543)年に落城している。この間の事情は『笹子落草子』という戦国時代の戦記物に書… 続きを読む 笹子城
東長寺
2009年09月20日 この寺は、寺に伝えられた由緒書によると、永正11(1514)年の建立と記されてありますが、天文元(1532)年であるという説もあります。開基は、大多喜根古屋城主武田信清で、開山は、大岩大和尚と記さ… 続きを読む 東長寺
大多喜城
2009年09月20日 大多喜城の歴史上総大多喜城は、戦国時代に築かれ、小田原北条氏の滅亡に伴い、徳川四天王の一人である本多忠勝がこの地に十万石で封じられました。城主は本多氏三代のあと、阿部氏等の譜代大名が入りましたが、… 続きを読む 大多喜城
万木城
2009年09月20日 万木城は中世の城郭で現在までその遺構をよく留めている。この城の立地は断層崖の急斜面を三方にもった台地によっているが、この丘陵の三方は夷隅川の曲流に囲まれていて外堀の役目を果たし、守るには要害の地と… 続きを読む 万木城
勝見城
2009年09月20日 北辰妙見碑 勝見城跡この勝見城は、上総権之介広常の弟である金田小太夫頼次の居城と伝え、広常居城といわれている高藤山城(一宮町高藤山)も東南に見ることができる。また後に上総権之介に任ぜられる千葉常秀… 続きを読む 勝見城
歓喜寺
2009年09月20日 歓喜寺と勝見城東光山歓喜寺は嘉祥年中(850年頃)慈覚大師によって上総本納に創建されましたが、長享2(1487)年土気城主酒井定隆による七里法華の改革(土気城より七里内の寺院はすべて法華宗に改宗)… 続きを読む 歓喜寺
玉泉寺
2009年09月20日 東渓山玉泉寺は、永平寺(現福井県)・総持寺(現神奈川県)を二大本山とする曹洞宗の寺院である。天正18年長南武田氏落城のみぎり、山内にあった玉泉寺も焼煙と化し、時の地頭・神尾若狭守の寄進を受け、木更… 続きを読む 玉泉寺
長久寺
2009年09月20日 大林寺の長南武田氏の墓の看板に記されていた情報によると、長南武田氏の家臣らの墓などが長久寺や玉泉寺にあるとのことでしたので今回立ち寄りました。お寺の方にお話を聞いてみると、長久寺には家臣の墓ではな… 続きを読む 長久寺
大林寺
2009年09月20日 長南武田氏の墓は、曹洞宗醫王山大林寺の境内にある。長南武田氏は、甲斐の国(現山梨県)武田氏の出で、戦国時代の康正2年より天正18年長南城落城までの約140年間上総に根を下ろした。武田氏の菩提寺とし… 続きを読む 大林寺
庁南城
2009年09月20日 甲斐の守護武田信満は、前関東管領の上杉禅秀の乱で禅秀についたため、応永24(1417)年2月、鎌倉公方足利利持氏に攻められ、甲斐の木賊山で自殺した。子の三郎信重・八郎信長は京に移った。信長は六代将… 続きを読む 庁南城
麻場城
2009年09月05日 麻場城は、戦国時代のこの地の豪族白倉氏の居城であり、東方約500mに存在する仁井屋城と併せて「白蔵城」と呼ばれ、典型的な別城一郭(双子城)であると言われている。当城は、戦国時代初期の築城とされ、豊… 続きを読む 麻場城
安中市学習の森ふるさと館
2009年09月05日 山本勘助の存在を示唆する書状が群馬県で見つかり、安中市学習の森で展示されているとのことで今回立ち寄りました。資料は5点あって安中市の真下家から発見されたとのことでした。5点の文書は巻子になっている… 続きを読む 安中市学習の森ふるさと館
蔵人城
2009年09月05日 本城は蔵人城(くらんど城)という梯郭式の山城である。南部の主郭部は北半分より10m以上高い。主郭部は南北50m、幅20mの本丸と、その南に掘切りを隔てた方20mのささ郭から成り、ささ郭南側掘切りが… 続きを読む 蔵人城
愛宕山城
2009年09月05日 碓氷峠から子持山の尾根を通って東端の跳石に達し、そこから直下200mの急坂を下って坂本に出た。下りつめた所の小丘に愛宕山城が築かれている。位置の関係から、上野側の者の築城ではなく、信濃側からの橋頭… 続きを読む 愛宕山城
多比良城
2009年09月05日 新堀城跡 多比良城ともいい南北250m東西200mで中央の本丸は南北90m東西80mこの外に北郭東郭南郭腰郭帯郭等がある上杉の本拠平井城を本城とし西方の固めとして一郷山城と共に別城一郭をなしていた… 続きを読む 多比良城
一郷山城
2009年09月05日 【牛伏山展望台】 牛伏山は、標高491m、万葉集に「多胡峰」と詠まれ、「多胡美人」と呼ぶ朝日岳、羊太夫ゆかりの八束山と合わせ、「吉井三山」といわれる三山の主峰で、その姿が臥牛に似ているので「牛伏」… 続きを読む 一郷山城
長根城
2009年09月05日 戦国時代この左手奥に長根城本丸があり、周囲に堀をめぐらし、南方より西に外堀があった。長根衆が居城し、長根氏、小河原右馬助等の武将が居り、はじめ平井上杉氏、後に武田氏に従った。四百余年昔の天文~天正… 続きを読む 長根城
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