武水別神社

2006年12月03日 武水別神社(第1回川中島合戦時の信玄本陣)川中島合戦というと、真っ先に思い浮ぶのは長野市の川中島古戦場で繰り広げられた合戦だと思いますが、実は川中島合戦は何度も行われており、その都度いろいろな場所… 続きを読む 武水別神社

荒砥城

2014年11月08日 甲斐・武田信玄と越後・上杉謙信両雄の戦い「川中島合戦」は今から400有余年前の戦国時代、信州信濃・川中島の地で繰り広げられた約10年にわたる戦いで、永禄4年の第4次川中島合戦の総大将同士の直接決戦… 続きを読む 荒砥城

雨宮の渡し

2003年08月15日 史跡雨宮渡案内図 川中島合戦と雨宮渡雨宮渡は、往時北国街道の要衝にあって、千曲川渡船場として川中島平の死命を制するほどの重要な拠点でもあり、戦術戦況を左右する場でもあった。史上名高い川中島の戦いは… 続きを読む 雨宮の渡し

姫宮跡の碑

2014年11月08日 天文22(1553)年に葛尾城が自落した際、逃れた奥方がこの地で自害したと伝わります。寛延3(1750)年に建立された石祠が明治30年頃に自在神社奥社に移転されたため、大正13年に建碑されました。… 続きを読む 姫宮跡の碑

比丘尼石

2014年11月08日 苅屋原の山頂に、苅屋原に向って尼さんがお経を読んでいるような石が見えます。これが比丘尼石です。これは、村上義清公が葛尾城落城後、越後へ逃れた折、義清公の奥方は姫城を脱出して身の危険を感じ、苅屋原の… 続きを読む 比丘尼石

笄の渡し

2014年11月08日 時は戦国、室町末期。村上義清は幾年にもわたって武田信玄と激しい戦いを繰り広げていましたが、天文22(1553)年4月、ついに居城の葛尾城が陥落し、敗走の混乱の中、奥方と別れか別かれ城を後にしたので… 続きを読む 笄の渡し

坂城神社

2014年11月08日 武田信玄の坂木大宮神社にあてた社領寄進状 武田勝頼の坂木大宮神社にあてた社領安堵状 坂城町指定文化財~古文書①永禄11年9月20日、武田信玄の坂木大宮神社にあてた社領寄進状②天正7年2月武田勝頼の… 続きを読む 坂城神社

村上義清公墓所

2014年11月08日 この墓所は、第三代坂木代官長谷川安左衛門利次が、名家遺跡の忘失を憂え、戦国の雄村上義清公の墓所建設を思いたち、明暦3(1657)年義清公の玄孫義豊や村上氏の臣出浦氏の子孫、正左衛門清重らにはかり、… 続きを読む 村上義清公墓所

葛尾城

2014年11月15日 主郭 この城跡は、村上氏が坂城郷に居館を構えたと推定される南北朝時代の末頃から天文22年4月村上義清が没落するまで、村上氏歴代の本城であった。けわしい地形を利用して、最高所に本郭をおき、つづいてニ… 続きを読む 葛尾城

霊泉寺

2011年12月30日 霊泉寺の由来この寺は金剛山波羅密院霊泉寺と称し安和元(968)年鎮守府将軍平維茂朝臣の命により空也上人の開山と伝えれれている。その後たび重なる兵乱によって寺は衰えたが、弘安元(1278)年、和田前… 続きを読む 霊泉寺

前山寺

2011年12月30日 当山は新義真言宗の寺院で、本尊は大日如来、かつては信州四ヶ談林の中に数えられた経学の殿堂であり、塩田城の鬼門に位置してその祈願所でもあった。住昔、弘仁年中、独股山を護摩修行の霊場として創立。はじめ… 続きを読む 前山寺

海禅寺

2011年12月30日 海禅寺はその草創は少なくとも平安前期にさか上ると推定され、上田小県地方切っての古刹である。今の東御市に海善寺という集落があるが、これは開善寺(海禅寺の旧名)があったから名づけられた地名である。開善… 続きを読む 海禅寺

丸子城

2010年01月31日 丸子合戦(丸子表の戦い)天正13(1585)年8月2日、真田昌幸は沼田城(群馬県)の明渡しを拒み、徳川家康の大軍と神川の辺りで合戦しこれを撃退しました。その後、徳川軍は丸子城に矛先を変え、八重原に… 続きを読む 丸子城

依田城

2010年01月31日 宗龍寺と依田城 宗龍寺の沿革当寺は釈迦年尼如来を本尊として初め中峯山東向寺と称し、文安年間五百十余年前の創建ですが火災に逢い全焼、慶長五年に中山の地に再興されて中峯山宗龍寺と称す。享保七年再災の為… 続きを読む 依田城

角間渓谷

2003年11月03日 角間渓谷案内信濃耶馬渓とも呼ばれるこの渓谷は旧角間火山に烏帽子岳(2065米)が噴出して、火口を押しせばめてできた大渓谷である。旧火山の集塊岩に新たに噴出した角閃安山岩等が迫って多年の浸蝕作用で巧… 続きを読む 角間渓谷

安智羅明神

2014年09月28日 この地は真田家の古いお屋敷跡で松尾古城の麓に位置する。神社のご神体は真田幸隆の幼少の姿を写した像と伝えられている。創立は1530(享禄3)年。アンチラとは薬師如来に仕える十二神将のひとり、安智羅大… 続きを読む 安智羅明神

真田氏館跡

2014年09月28日 真田氏館跡は、真田氏の上田城築城以前の居館といわれ、現在でも「御屋敷」と呼んで親しまれている。また、中世豪族の居館の形態がほぼ完全な形で保存されており、真田氏一族の貴重な遺構として昭和42年に長野… 続きを読む 真田氏館跡

日向畑遺跡

2014年09月28日 この周辺は真田氏の最初の居館跡と考えられている。遺跡はその西側の部分にあり発掘調査の結果五輪塔、宝篋印塔を墓標とし、火葬骨を埋葬した墳墓跡であることが分かった。石塔群の形態からみて、室町時代から戦… 続きを読む 日向畑遺跡