極楽寺

2007年01月07日

玉田院小督の墓

玉田院は俗名は小督、通称を小栗といった。天正10(1582)年、武田氏滅亡の折、高遠城で討死した仁科盛信の息女であり、松姫尼の姪に当る。
小督は松姫尼と難を逃れて八王子に来住しこの地で養育されたが、やがて仏道に帰依し、八王子奉行大久保長安に請い元横山村大義寺の西隣りの地に一寺を建て玉田院と称し、玉田禅尼と呼ばれた。
慶長13(1608)年7月29日にこの地に没した。時に29才であったという。
法号は「玉田院光誉睿室貞舜尼」、最初墓は玉田院跡にあったが、正徳5(1715)年7月、盛信の曾孫仁科資真が極楽寺に改葬したものである。
(極楽寺パンフレット記載文章より)


前回来たときは玉田院の墓が正確にどれなのか確認することができなかったため、写真は撮ったもののそのままにしていました。
今回も極楽寺に到着したのが16時半ころになってしまいましたが急いでもう一度玉田院の墓を参拝してからお寺を訪問して玉田院の墓の確認及び資料などがないか聞いてみました。
お寺の方が丁寧に対応していただき、ここにはお墓があるだけなので詳しい話を知りたければ郷土資料館に行った方がいいとのアドバイスをいただきました。
次回はそちらに行ってみたいと思いますが、今回頂いた極楽寺の資料にも簡単に玉田院小督の墓についての説明が書かれていました。

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