2020年06月20日~21日 天正9年に武田氏の当主武田勝頼が新たに府中の中核として築造した新府城は、韮崎市を貫通する釜無川と塩川の2大河川の開削によって形作られた七里岩台地上にあり、その西崖を活かした要害の地に築城さ… 続きを読む 新府城
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高遠城
2017年04月23日 2007年04月29日 新城(盛信)神社・藤原神社 4月29日に桂泉院および高遠城址公園内の藤原神社で行われた慰霊祭および例大祭に参加させていただきました。当日は朝9時に桂泉院に集合することになっ… 続きを読む 高遠城
小泉城
2015年07月19日 小泉城(冨岡城)小泉城は、延徳元(1489)年、冨岡主税介直光が縄張りをしたことに始まり、以降冨岡氏6代、約100年余の居城として栄え、威容を整えたものである。現在の城跡は、小田原北条氏の傘下に入… 続きを読む 小泉城
金山城
2015年07月19日 史跡金山城跡太田市のシンボルである金山に築かれた金山城は、文明元(1469)年から天正18(1590)年まで「難攻不落」を誇った名城です。昭和9(1934)年に県内で初めて城跡として国の史跡指定を… 続きを読む 金山城
山上城
2015年07月19日 山上城は山上五郎高綱によって築城され、戦国時代末期に武田勝頼に攻められ廃城となりました。丘城として遺構がよく残されており、本丸・二の丸・三の丸跡が公園として整備され、花の名所としても知られます。(… 続きを読む 山上城
村主神社
2015年07月19日 さかさ梅 天正8(1580)年、甲斐の武田勝頼が信濃の兵を併せて上州に侵入。厩橋城、大胡城、伊勢崎城と攻落した。膳城侵攻前に勝頼は全軍の兵馬に一息入れさせ、自らも村主神社の泉のほとりに馬を留め、持… 続きを読む 村主神社
中村城
2015年07月19日 姫塚 天正7年6月、膳城が武田勢に攻められて落城した時、中村城は運命を共にした城主中村右馬之丞の姫は薙刀を振って大奮戦したが力尽きてここで討死した。明治100年6月この碑を建てる。石碑文章より 堀… 続きを読む 中村城
膳城
2015年07月19日 膳城平面図 膳城跡は、兎川と湧水による湿潤な谷地の間の丘陵性台地の先端部に位置する。南北約550m、東西約300mほどの範囲の中に濠や土塁をめぐらし、本丸の他、数区画からなる郭を形成している。この… 続きを読む 膳城
大胡城
2015年07月19日 城跡は、南北に走る丘陵上にある平山城で、本丸を中心に二ノ丸を囲郭的に配し、北に北城(越中屋敷)、近戸曲輪、南に三、四ノ曲輪があり、東は荒砥川が流れ、その間に根小屋、西には西曲輪の平野部が附加され、… 続きを読む 大胡城
武田勝頼公之像
2014年12月27日 武田勝頼公之像の由来天正10年3月武田勝頼公ひきいる武田軍は織田・徳川連合軍との戦いで天目山栖雲寺を目指したが田野の地においてあえなく武田家の終えんを迎えた。甲斐国主である武田勝頼公の遺徳を偲び末… 続きを読む 武田勝頼公之像
鳥居畑古戦場
2014年12月27日 天正10(1582)年3月11日、武田勝頼の一行を追撃するために、門井沢や不動沢の駒飼口から攻め寄せる織田・徳川の先鋒隊川尻・滝川の軍勢4,000に対し、武田勢は秋山紀伊守・阿部加賀守ら100人に… 続きを読む 鳥居畑古戦場
首洗い池
2014年12月27日 この雨沢口に湧く清水の池は武田勝頼公父子の首を洗った所と言われています。(棒杭の説明文より) 2005年05月29日 景徳院の右隣に小さな憩いの場があってベンチなども整備されていますが、この周辺が… 続きを読む 首洗い池
景徳院
2014年12月27日 景徳院(田野寺)は、曹洞宗下総国総寧寺の末寺で、開基は徳川家康、開山は炊けだの臣小宮山内膳の弟で、中山広厳院第7世拈橋和尚である。また、同寺一帯は武田家滅亡の地として有名で、山梨県の史跡でもある。… 続きを読む 景徳院
大蔵原思案石
2014年12月27日 武田勝頼公は、織田・徳川両軍の進撃により、天正10(1582)年3月10日天目山方面を目指してこの地(大蔵原)まで来たところ、謀反を起した小山田信茂の軍勢は、早くも郡内の真木から小金沢を経て、この… 続きを読む 大蔵原思案石
武田勝頼公腰掛石
2014年12月27日 勝頼公一族が鶴瀬、駒飼郷に滞陣のおり、この地で周囲の動静をうかがった所と言われています。(現地の案内棒に記載された文章より) 2005年05月29日 甲府から東京方面に向って国道20号線を進み、右… 続きを読む 武田勝頼公腰掛石
四郎作古戦場
2014年12月27日 四郎作古戦場小宮山内膳友晴(友信)は武田家の重臣小宮山丹後守昌友の長男として出仕し、御使番十二人衆の一人として活躍していたが、奸言によって勝頼の勘気を蒙り幽閉の身となった。天正10(1582)年3… 続きを読む 四郎作古戦場
武田不動尊
2014年12月27日 この地は、勝頼一行が憩いし折り、武田の守り本尊として奉持していた不動尊を祀り、武運の長久を祈り里人にこれを託した所と言われています。(現地の案内棒に記載された文章より) 2005年05月29日 こ… 続きを読む 武田不動尊
蒲原城
2014年12月07日 本郭南曲輪 蒲原城は、蒲原丘陵から孤立した城山層を要塞化した山城で、築城時期は室町時代の前期頃か。築城者は今川氏が駿河守護として入国した後、その一族によって築城したものと思われる。文献上には特定の… 続きを読む 蒲原城
坂城神社
2014年11月08日 武田信玄の坂木大宮神社にあてた社領寄進状 武田勝頼の坂木大宮神社にあてた社領安堵状 坂城町指定文化財~古文書①永禄11年9月20日、武田信玄の坂木大宮神社にあてた社領寄進状②天正7年2月武田勝頼の… 続きを読む 坂城神社
武田勝頼観戦地(才の神)
2014年08月16日 連吾川沿いの馬防柵の構築など、次々と織田・徳川軍の動向を伝える知らせの中で、勝頼は19日設楽原進出を決定した。そして翌20日には、寒狭川を渡り有海原から信玄台地一帯に陣を敷いた。このあたりは雁峰山… 続きを読む 武田勝頼観戦地(才の神)
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