2014年08月16日 大宮前激戦地は武田軍右翼の部隊が激戦を繰り広げたところと思われます。長篠日記によると、武田軍右翼には、先陣が馬場美濃守信房、続いて真田源太左衛門信綱と弟の真田昌輝、第3陣が土屋昌次、第4陣が穴山信… 続きを読む 大宮前激戦地
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土屋右衛門尉昌次戦死之地
2014年08月16日 再現の馬防柵内に、東京の子爵土屋正直氏は、石標の土地を買い求めて、碑高165センチ、幅21センチの「土屋右衛門尉昌次戦死之地」碑陰「大正6年6月建之」を建立された。この碑は八束穂の史跡「忠誠碑」と… 続きを読む 土屋右衛門尉昌次戦死之地
大通寺
2014年08月15日 本堂 大通寺と盃井戸達磨山大通寺は応永18(1411)年の創立と伝えられるが、天正時代の兵乱で焼失し、後に琴室契音大和尚に改宗し、地蔵大菩薩を本尊として草創開山した。天正3(1575)年の長篠の戦… 続きを読む 大通寺
天神山陣地
2014年08月15日 本社は源頼朝が勧進創立し、足利氏を経て一色氏の守護神になった(縁起)。元禄11(1698)年10月、一色氏の所領替えにより、下総国木之崎村より現在地に遷営された。本殿は全体的に形姿がよく整い、細部… 続きを読む 天神山陣地
土屋右衛門尉昌次の碑
2013年07月07日 信玄の代よりの重臣、土屋昌次31歳は第2の馬防柵を突破し、第3の柵に辿りついた時、鉄砲により討死した。碑は、盛土の上の台石にある。高さ133センチ、幅100センチの野面石であり、「土屋右衛門尉昌次… 続きを読む 土屋右衛門尉昌次の碑
伝武田諸将訣盃ノ池
2006年05月06日 ご夫人がやかんの水を冷しに来ていたのでお話を聞くことができました。伝武田諸将訣盃ノ池とは、設楽原での決戦の前に武田方の武将である馬場信春、山県昌景、内藤昌豊、土屋昌次の4人が最後の盃を交わしたとこ… 続きを読む 伝武田諸将訣盃ノ池
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