2016年05月01日 葛山城は善光寺の西北に位置する葛山の山頂に構築された複合的な山城で標高800mを超える高所にあり、東・南の両面、とりわけ南側は急峻な地形を呈している。南の麓直下を流れる裾花川を挟んで旭山城と相対し… 続きを読む 葛山城
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長沼城
2016年04月30日 本郭(主郭) 長沼城は千曲川左岸の自然堤防上に発達した集落、長沼にある平城である。文献上では至徳4(1387)年に島津太郎国忠が「長沼太郎」として記されているのが長沼の初見である。以降の室町時代に… 続きを読む 長沼城
牧之島城
2015年06月13日 本丸跡 牧之島城案内図 御前水井 本丸跡 城は、南、西、北の三方を犀川がめぐり、東部一方が山部に続く舌状台地のほほ中央にあり、自然の断崖絶壁と深沢を利用し、これに人工の堀を加えた平城である。現存す… 続きを読む 牧之島城
小諸城
2015年05月03日 三の門 重要文化財 小諸城三の門(平成5年12月9日国指定)小諸城は慶長元和年間(関ヶ原役前後)にわたって時の城主仙石氏が築城しました。三の門も大手門と同様に一連の造営の中で創建されたものです。し… 続きを読む 小諸城
小山城
2014年12月28日 ここは永禄11(1568)年末、武田氏によって山崎の砦が築かれたところで、武田・徳川の駿遠分割協定に基づき、家康は家臣松平真乗に大井川下流を支配下に納めようとして砦を攻撃させた。元亀2(1571)… 続きを読む 小山城
丸山攻防戦跡(先佐久間信盛後馬場信房陣地)
2014年08月16日 丸山と大宮前激戦地このあたりは、設楽原決戦場のほぼ北端に位置し大宮前激戦地とよばれている。ここ丸山は、はじめ織田軍の佐久間信盛が陣を敷いたが、後、武田軍の馬場美濃守がこれを攻め占拠した。(看板資料… 続きを読む 丸山攻防戦跡(先佐久間信盛後馬場信房陣地)
大宮前激戦地
2014年08月16日 大宮前激戦地は武田軍右翼の部隊が激戦を繰り広げたところと思われます。長篠日記によると、武田軍右翼には、先陣が馬場美濃守信房、続いて真田源太左衛門信綱と弟の真田昌輝、第3陣が土屋昌次、第4陣が穴山信… 続きを読む 大宮前激戦地
大通寺
2014年08月15日 本堂 大通寺と盃井戸達磨山大通寺は応永18(1411)年の創立と伝えられるが、天正時代の兵乱で焼失し、後に琴室契音大和尚に改宗し、地蔵大菩薩を本尊として草創開山した。天正3(1575)年の長篠の戦… 続きを読む 大通寺
馬場美濃守信房の墓
2014年08月15日 所在地:鳳来町長篠字西野々51番地の1由 来:天正3(1575)年長篠の戦いに敗れて退却する武田勝頼の最後尾を守りぬいて戦死した、馬場美濃守信房の首を埋めた所といわれている。(看板資料より) 長篠… 続きを読む 馬場美濃守信房の墓
馬場美濃守信房之碑(馬場美濃守信房の墓、同彦五郎勝行の墓)
2014年08月15日 馬場美濃守信房之碑 馬場信房戦死之地から少し南に行ったところに馬場美濃守信房之碑があります。ここには馬場美濃守信房の墓、同彦五郎勝行の墓と書かれた看板があります。また、いろはがるたの看板もあり、「… 続きを読む 馬場美濃守信房之碑(馬場美濃守信房の墓、同彦五郎勝行の墓)
橋詰殿戦場
2014年08月15日 武田軍総崩れとなり、殿(しんがり)をつとめた馬場信房らは、勝頼が落ち延びていく姿を確認してこの地で最後の戦いを行った。 2003年10月12日 武田軍総崩れとなり、殿(しんがり)をつとめた馬場信房… 続きを読む 橋詰殿戦場
馬場美濃守討死之地
2014年08月15日 緒巻桜馬場美濃守は当地に於いて主君勝頼を見送った後、この緒巻桜の下にて首を与えたという。道標「ふぢう道」は対岸より設楽原決戦におもむく武田軍がこの道を通り、出沢、浅谷を経て行った道であることを示す… 続きを読む 馬場美濃守討死之地
古宮城
2014年03月29日 当城址は、甲斐の武田信玄が三河進出の拠点とするため、宿将馬場美濃守信房に命じ元亀2(1571)年に築城したと伝わる。城域は南北約200メートル、東西約250メートルの独立した小山全体からなっている… 続きを読む 古宮城
福田寺
2014年03月23日 武田信玄と福田寺武田信玄と当寺との関係については、卒去の地、埋葬の地を含めて、その真偽のほどは判然としないが、当寺に伝えられているところによると次のとおりである。「当寺は、かねてより信玄公の外護を… 続きを読む 福田寺
長岳寺
2014年03月23日 NHKで放映の武田信玄公と当寺の関係、信玄公の死亡された所について各地に伝えられていますが、この寺は信玄公が野田城からの帰途、この駒場の山中で亡くなられましたので、当長岳寺に秘かにかつぎこまれ、こ… 続きを読む 長岳寺
自元寺
2013年10月13日 自元寺総門 総門は「武田四臣」武田二十四将馬場美濃守信房公(信春)の屋敷(通称梨子の木屋敷)現白州町白須1008-1番地付近から移したものである。四脚門流造り屋根は鉄板葺きであるが元は茅葺きであっ… 続きを読む 自元寺
教来石民部館跡
2013年10月13日 教来石民部館跡の由来(馬場美濃守信春)この地鳥原には、昭和63年の発掘調査により、教来石民部館があったことが判っています。館主である教来石氏は、武田家支流の一条氏から派生した在地の武士団、いわゆる… 続きを読む 教来石民部館跡
田中城
2012年02月19日 田中城本丸跡田中城は同心円形に四重の堀と土塁で造られていたが、本丸は四角で480坪(1580㎡)と小さく、本丸内には御殿やお亭のみで天守閣のような建物はなかった。(看板資料より) 田中城案内図 田… 続きを読む 田中城
岡城
2009年10月04日 前回訪れた時は三日月濠などが確認できなかったので時間をかけて探してみました。しかし今回も確認することはできませんでした。上の写真は城の北側の濠だと思います。 2009年05月04日 市指定史跡 岡… 続きを読む 岡城
馬場美濃守信有墓所
2009年05月02日 前回(2005年)高野山に来た時に武田信玄・勝頼墓所の参拝をした時にはその存在に気づきませんでした。帰宅後、武田信玄・勝頼墓所の裏側に馬場美濃守の墓所があると知りました。いつかは来たいと思っていた… 続きを読む 馬場美濃守信有墓所
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