2014年05月18日 甲立寺木造愛染明王座像八劔山甲立寺はもと高島にあり、八劔神社の別当寺で武田信玄が再興し、日根野高吉によって現在の地に移され、代々高島藩主家の祈願所として帰依をうけた寺である。本像は甲立寺付属の愛染… 続きを読む 甲立寺
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法華禅寺
2014年05月18日 もと天台宗であったが、鎌倉時代寛元年間領主蓮仏入道盛重が中興し、建長寺蘭渓道隆を招いて禅宗に改めた。天正10年織田信長が甲州征伐の時、この寺を本営として滞陣して論功行賞を行い、多くの武将たちが集ま… 続きを読む 法華禅寺
桑原城
2014年05月18日 二の丸から見た本丸 武田信玄の諏訪攻めと桑原城桑原城は戦国時代の山城であり、諏訪惣領家の本拠である上原城(茅野市)の支城の役割を担った重要な場所でした。天文4(1535)年には惣領家の諏訪頼満と甲… 続きを読む 桑原城
稲荷山城
2014年05月03日 郭からの景色(千曲川) 稲荷山城は旧臼田村の南、稲荷山山頂にある。城域の南半分は旧勝間に属し、「勝間反ノ砦」と呼ばれるのもそのためである。東側は約40mの断崖をなして千曲川に臨み、南北も急崖をなし… 続きを読む 稲荷山城
上宮寺
2014年05月03日 真言宗智山派新海山上宮寺の由来当山は口伝によると西暦600年頃上宮太子の開基とされ、旧寺名を新海山上宮本願院神宮密寺と号しました。当山は本来新海神社の東に位置し、神社の別当寺でありました。本尊は阿… 続きを読む 上宮寺
新海三社神社
2014年05月03日 拝殿 当社は佐久地方開拓の祖神である、「興波岐命」と御父神「建御名方命」(諏訪さま)、御伯父神「事代主命」(恵比寿さま)、「誉田別命」(八幡さま)の四神をまつる佐久三庄三十六郷の総社である。古来、… 続きを読む 新海三社神社
信玄の兜石
2014年05月03日 ①臼田町の勝間に信玄の兜石と呼ばれている、高さ三尺(約1m)ばかりの三角形の石がある。天文(1532~55)の頃、武田信玄が佐久に攻め入り、この地方の豪族と戦った時、ここを通りしばらく軍をとめて休… 続きを読む 信玄の兜石
円満寺
2014年05月02日 明治33(1900)年に書かれた寺伝によると、創立は康治2(1143)年平安時代で開祖は新義真言宗々祖興教大師とされています。その当時は現在の位置より南の大井城の辺りにあり、真言律宗無本寺という名… 続きを読む 円満寺
西念寺
2014年05月02日 西念寺は永禄3(1560)年岌往上人が武田信玄公の帰依を受け建立された浄土宗の寺である。開山岌往上人信濃に40ヶ寺、甲斐に25ヶ寺を建立された名僧である。西念寺は佐久の檀林と称されていた。小諸藩、… 続きを読む 西念寺
龍雲寺
2014年05月02日 曹洞宗大田山龍雲寺当寺院は鎌倉時代の初め、地頭大井氏(甲斐源氏)の菩提寺(臨済宗)として創建されたが、その後戦火のため荒れ果て、位置も現在地に移った。時あたかも甲斐国主・武田信玄が、信濃の経略が一… 続きを読む 龍雲寺
法性寺
2014年03月29日 信玄公が撃たれた場所1573(元亀4)年野田城を武田軍が攻めた折、信玄は毎晩城内から流れてくる松村芳休の吹く見事な笛の音をこの場で聞き惚れていた。そこを、鳥居半四郎という鉄砲の名手が城内から発砲。… 続きを読む 法性寺
福田寺
2014年03月23日 武田信玄と福田寺武田信玄と当寺との関係については、卒去の地、埋葬の地を含めて、その真偽のほどは判然としないが、当寺に伝えられているところによると次のとおりである。「当寺は、かねてより信玄公の外護を… 続きを読む 福田寺
信玄塚
2014年03月23日 信玄塚・宝篋印塔の由来信玄塚武田信玄は、三河国野田城(愛知県新城市)攻略中に肺肝を患い、田口、津具を経て甲斐国へ引き返す途中、天正元年(元亀4年・1573)4月12日、53歳にて、ここ「ねばね」の… 続きを読む 信玄塚
浪合関所跡
2014年03月23日 天文23(1554)年伊那郡を手中にした武田信玄は、弘治年間(1555~1557)南信濃の諸将の動向を監視するため関所を各地に配置した。浪合関所は、伊那から東海方面に通じる伊那街道の要害の地として… 続きを読む 浪合関所跡
長岳寺
2014年03月23日 NHKで放映の武田信玄公と当寺の関係、信玄公の死亡された所について各地に伝えられていますが、この寺は信玄公が野田城からの帰途、この駒場の山中で亡くなられましたので、当長岳寺に秘かにかつぎこまれ、こ… 続きを読む 長岳寺
滝山城
2014年01月26日 天野坂から桝形虎口へ大手口と思われる天野坂からの掘底道は、城兵が効果的に攻撃できるよう工夫されている。小宮曲輪と三の丸の間には桝形虎口(出入口)が設けられていた。攻めのぼる敵側にとっては大変な驚異… 続きを読む 滝山城
田代城
2014年01月04日 田代城は室町時代の山城で、自然の地形をそのまま要害とした武士の居館であった。築城の年月は不詳。城域は23,300平方メートルほどの広さをもち、南の方を表口としていた。城主は小田原北條氏の幕下にあっ… 続きを読む 田代城
旗立て松
2014年01月04日 旗立て松の由来永禄12(1569)年10月6日、三増の山野で甲斐の武田信玄と小田原の北条氏康とが戦った。旗立て松はこの三増合戦のおり、信玄が大将旗を立てた跡である。北から西へ連なる三増の山並みを越… 続きを読む 旗立て松
三増合戦場
2014年01月04日 三増合戦のあらまし永禄12(1569)年10月、甲斐(今の山梨県)の武田信玄は、2万の将兵をしたがえて、小田原城の北条氏康らを攻め、その帰り道に三増峠を選んだ。これを察した氏康は、息子の氏照、氏邦… 続きを読む 三増合戦場
二代目根洗松
2013年12月31日 2004年04月30日 三方原の合戦の際、武田信玄の本陣がおかれたといわれるのがこの根洗松付近だったそうである。祝田の坂を下ると見せかけて徳川軍をおびき出すことに成功し、一転陣形を立て直して徳川軍… 続きを読む 二代目根洗松
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