2009年09月21日 造海城は武田氏が真里谷城(木更津市)を本拠として、上総国南部地方に勢力を拡張していく過程で、築城したものである。つまり、真里谷信興の時、安房国を中心とする里見氏に対抗する目的で、峰上城と造海城築い… 続きを読む 造海城
史跡の種類: 城跡
久留里城
2009年09月21日 久留里城は「城成就して3日に一度づ々雨降ること21度なりしかば」(久留里記)という説から別名を雨城と言います。戦国期の16世紀中頃、西上総地方は真里谷武田氏の勢力下にあり、久留里城もその一族の居城… 続きを読む 久留里城
真ヶ谷城
2009年09月20日 真ヶ谷城全景 真ヶ谷城は、牛久の町から茂原方面に2㎞ほど進んだ北側の台地尾根上に位置する。養老川支流の内田川を外堀となし、入り組む小谷が自然の要害を形成している。城主・城の沿革などは不明であるが、… 続きを読む 真ヶ谷城
椎津城
2009年09月20日 地元では通称「城山」と呼ばれている戦国時代の城郭跡です。築城年代は不明ですが、真里谷武田氏・続いて安房里見氏の重要な拠点として位置付けられてきましたが、天正18(1590)年徳川軍によって攻められ… 続きを読む 椎津城
真里谷城
2009年09月20日 主郭(千畳敷) 「まりか谷城」とも呼ばれた真里谷城は、戦国時代の初期にあたる康正2(1456)年、上総国に進出した甲斐(現山梨県)の武田信長が庁南城(長生郡長南町)とともに上総地方を支配するため築… 続きを読む 真里谷城
中尾城
2009年09月20日 主郭の神社 この中尾城は、真里谷信興が真里谷城の支城として明応年間に築いたものといわれている。また、『笹子落草子』と二部作になる『中尾落草子』に、落城に至る経過が書かれているが、真偽は不明である。… 続きを読む 中尾城
笹子城
2009年09月20日 笹子城は、真里谷城主であった真里谷信興が支城として文明年間に築いたといわれている。この真里谷氏の内紛で、天文12(1543)年に落城している。この間の事情は『笹子落草子』という戦国時代の戦記物に書… 続きを読む 笹子城
大多喜城
2009年09月20日 大多喜城の歴史上総大多喜城は、戦国時代に築かれ、小田原北条氏の滅亡に伴い、徳川四天王の一人である本多忠勝がこの地に十万石で封じられました。城主は本多氏三代のあと、阿部氏等の譜代大名が入りましたが、… 続きを読む 大多喜城
万木城
2009年09月20日 万木城は中世の城郭で現在までその遺構をよく留めている。この城の立地は断層崖の急斜面を三方にもった台地によっているが、この丘陵の三方は夷隅川の曲流に囲まれていて外堀の役目を果たし、守るには要害の地と… 続きを読む 万木城
勝見城
2009年09月20日 北辰妙見碑 勝見城跡この勝見城は、上総権之介広常の弟である金田小太夫頼次の居城と伝え、広常居城といわれている高藤山城(一宮町高藤山)も東南に見ることができる。また後に上総権之介に任ぜられる千葉常秀… 続きを読む 勝見城
庁南城
2009年09月20日 甲斐の守護武田信満は、前関東管領の上杉禅秀の乱で禅秀についたため、応永24(1417)年2月、鎌倉公方足利利持氏に攻められ、甲斐の木賊山で自殺した。子の三郎信重・八郎信長は京に移った。信長は六代将… 続きを読む 庁南城
麻場城
2009年09月05日 麻場城は、戦国時代のこの地の豪族白倉氏の居城であり、東方約500mに存在する仁井屋城と併せて「白蔵城」と呼ばれ、典型的な別城一郭(双子城)であると言われている。当城は、戦国時代初期の築城とされ、豊… 続きを読む 麻場城
蔵人城
2009年09月05日 本城は蔵人城(くらんど城)という梯郭式の山城である。南部の主郭部は北半分より10m以上高い。主郭部は南北50m、幅20mの本丸と、その南に掘切りを隔てた方20mのささ郭から成り、ささ郭南側掘切りが… 続きを読む 蔵人城
愛宕山城
2009年09月05日 碓氷峠から子持山の尾根を通って東端の跳石に達し、そこから直下200mの急坂を下って坂本に出た。下りつめた所の小丘に愛宕山城が築かれている。位置の関係から、上野側の者の築城ではなく、信濃側からの橋頭… 続きを読む 愛宕山城
多比良城
2009年09月05日 新堀城跡 多比良城ともいい南北250m東西200mで中央の本丸は南北90m東西80mこの外に北郭東郭南郭腰郭帯郭等がある上杉の本拠平井城を本城とし西方の固めとして一郷山城と共に別城一郭をなしていた… 続きを読む 多比良城
一郷山城
2009年09月05日 【牛伏山展望台】 牛伏山は、標高491m、万葉集に「多胡峰」と詠まれ、「多胡美人」と呼ぶ朝日岳、羊太夫ゆかりの八束山と合わせ、「吉井三山」といわれる三山の主峰で、その姿が臥牛に似ているので「牛伏」… 続きを読む 一郷山城
長根城
2009年09月05日 戦国時代この左手奥に長根城本丸があり、周囲に堀をめぐらし、南方より西に外堀があった。長根衆が居城し、長根氏、小河原右馬助等の武将が居り、はじめ平井上杉氏、後に武田氏に従った。四百余年昔の天文~天正… 続きを読む 長根城
後瀬山城
2009年08月13日 いにしえは万葉集にも詠われた後瀬山。古くから小浜に住む人々、また小浜を訪れる人々に憩いをもたらす山として存在しています。この後瀬山に戦国の世に叶った山城が築城されたのは、大永2(1522)年のこと… 続きを読む 後瀬山城
有田城
2009年08月12日 有田城跡と有田合戦有田城跡山頂には4つの郭(人工的な平坦面)と、郭の北西端を固める土塁(人口的な土手)が残っている。城主は山県一族有田氏と思われ、東の壬生氏、西の今田氏とともに、室町から戦国時代初… 続きを読む 有田城
銀山城(武田山)
2009年08月11日 銀山城(武田山山頂)からの眺め 鎌倉時代初期、旧祗園町一帯には、安芸国内から選ばれてくる物資の保管倉庫(倉敷地)が集中していました。また、この地域は、古市、今津などの市場や、港町で賑わい、安芸国の… 続きを読む 銀山城(武田山)
最近のコメント