2014年08月15日 5月21日の夜明け、徳川軍の酒井忠次は東三河の将士を率い、長篠城監視のために残留した武田軍の5つの砦を奇襲した。この時、設楽原方面に進出していた武田勝頼は、背後の鳶ヶ巣砦方面の火の手と銃声に驚き本… 続きを読む 鳶ヶ巣山陣地
史跡の種類: 陣跡
天神山陣地
2014年08月15日 本社は源頼朝が勧進創立し、足利氏を経て一色氏の守護神になった(縁起)。元禄11(1698)年10月、一色氏の所領替えにより、下総国木之崎村より現在地に遷営された。本殿は全体的に形姿がよく整い、細部… 続きを読む 天神山陣地
医王寺
2014年08月15日 医王寺と武田勝頼本陣跡長篠山医王寺は永正11(1514)年に創立され、曹洞宗で薬師如来を本尊とし、克補契嶽大和尚によって開山され、現在7つの末寺がある。天正3(1575)年の長篠の戦の時、武田勝頼… 続きを読む 医王寺
大将陣と大将塚
2014年03月22日 天正3(1575)年5月、長篠の戦いにおいて武田勝頼軍に大勝した織田信長は、すぐに長男信忠に3万の大軍をさずけ、武田側の岩村城攻撃を命じた。信忠は岩村城を包囲すると、ここに本陣を置いて指揮したので… 続きを読む 大将陣と大将塚
二代目根洗松
2013年12月31日 2004年04月30日 三方原の合戦の際、武田信玄の本陣がおかれたといわれるのがこの根洗松付近だったそうである。祝田の坂を下ると見せかけて徳川軍をおびき出すことに成功し、一転陣形を立て直して徳川軍… 続きを読む 二代目根洗松
惣勢山本陣跡
2013年12月30日 天正2年武田勝頼が高天神城攻めの折、ここに惣勢の本陣を置く。(石碑文章より) 2010年01月10日 天正2(1574)年6月武田勝頼は大軍を率いてここに総勢の本陣を置いた、のち惣勢山という。(棒… 続きを読む 惣勢山本陣跡
陣場峠
2013年12月30日 家康の掛川城攻略の拠点ここは、掛川市杉谷と板沢の頂点境で、もとは青田嶺といわれ、市の中心までは約1㎞の位置で二つの峰からなっている。西を西陣場その西を蛇バミ峠といい東を東陣場という。永禄11(15… 続きを読む 陣場峠
妻女山
2013年07月21日 妻女山のご案内上杉本陣の妻女山の歴史永禄4(1561)年8月、上杉謙信は妻女山に1万3千の陣を置き、茶臼山・海津城の武田信玄の軍勢2万とにらみ合いを続けていた。9月になり、信玄の家来で軍師の山本勘… 続きを読む 妻女山
馬防柵
2013年07月07日 設楽原決戦場祭りの当日、馬防柵周辺では地元の小学生や鉄砲隊などによる長篠・設楽原合戦の演舞が行われました。各方面から織田軍、徳川軍、武田軍に扮した小学生や中学生が集まり、鉄砲隊や馬に乗った子供たち… 続きを読む 馬防柵
君が臥床(和田兵部陣地)
2012年05月04日 飯田線長篠城駅を東に向かいすぐに右に曲がって川を渡り左折した後、更に橋を渡ってすぐに右折して町道大栗線を南下。すぐに左に上っていく道があるのでそこを進んで行ったところで人がいたので君が臥所の場所を… 続きを読む 君が臥床(和田兵部陣地)
上杉謙信陣屋敷跡
2009年05月04日 下克上の戦国時代、天文22(1553)年から永禄7(1564)年の11年間、北信濃の覇権を懸けて激しい攻防を繰り返した、越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄。上杉謙信は、大軍を山狭に潜ませるには極めて都… 続きを読む 上杉謙信陣屋敷跡
設楽越中守陣地
2006年05月06日 と「樋田にて退路をたちし設楽貞通」(設楽原古戦場いろはかるた看板資料より) 設楽貞通は川路城主ですが、川路城はちょうど設楽原古戦場にある城です。長篠・設楽原古戦場の地元の武将ということですね。設楽… 続きを読む 設楽越中守陣地
合代島
2005年02月12日 武田軍は袋井まで南下した後、天竜川右岸を北上して二俣城を攻めますが、武田信玄の本体は合代島にあったとのこと。豊岡村役場で信玄が本陣をおいたとされる合代島というのがどこになるのか聞きましたが分かりま… 続きを読む 合代島
武田勝頼戦地本陣跡
2003年10月12日 天正3(1575)年5月、武田勝頼は織田、徳川連合軍との決戦を前に長篠の医王寺で軍議を開いた。多くの忠臣は決戦を回避すべしと進言したが、勝頼は聞き入れず寒狭川を渡ってこの清井田へ進撃し、ここを戦地… 続きを読む 武田勝頼戦地本陣跡
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