御射山社

2016年12月18日 ここに鎮座する御社山社は、建御名方命と国常立命を祭神としている。中世には、この社のある通称原山の一帯は神野と呼ばれる諏訪上社の社領で、上社の御射山御狩の祭事が行われていた。それは秋季の台風などが平… 続きを読む 御射山社

茶臼山

2015年06月13日 戦国時代、ここ信濃(長野県)の川中島の地をめぐり、甲斐(山梨県)の武田信玄と越後(新潟県)の上杉謙信が幾度か激突した。その中で最も激しい戦いとなったのが、永禄4(1561)年の「川中島の戦い」であ… 続きを読む 茶臼山

三光神社

2015年02月28日 創建は第18代反正天皇の御宇にして以降神職として、武内宿弥の苗裔たる武川氏が86代に渉って奉仕された当社は古来より日本全国で唯一の中風病除の神として知られ崇敬者は全国に存在し6月1日から7日まで祈… 続きを読む 三光神社

心眼寺

2015年02月28日 真田幸村出丸城跡 従五位下 真田左衛門佐豊臣信繁之墓 真田信繁は、武田信玄配下の武将であった、父真田昌幸の次男、通称は源次郎、号は好白。関ケ原の戦いでは父と共に西軍に付くも、戦いに敗れ、紀州九度山… 続きを読む 心眼寺

茶臼山

2015年02月28日 茶臼山歴史について慶長3年、1598年8月18日、豊臣秀吉は63才で死去。死の直前、徳川家康、前田利家、上杉景勝、毛利輝元、宇喜多秀家の五大老、現在風でいえば大物大臣である。さらに五奉行に石田三成… 続きを読む 茶臼山

内藤昌豊陣地(内藤修理亮昌豊の墓、横田備中守綱松の墓)

2014年08月16日 甲斐の国主武田勝頼公は天正3年ここ設楽原で織田徳川連合軍と壮絶な戦いを繰り広げた。同10年3月11日山梨県東山梨郡大和村田野の地において武運つたなく果て清和天皇を祖として新羅三郎義光以来約500年… 続きを読む 内藤昌豊陣地(内藤修理亮昌豊の墓、横田備中守綱松の墓)

山県昌景陣地(山県三郎兵衛昌景の墓、高坂又八郎助宣の墓他)

2014年08月16日 信玄以来の宿老山県昌景は54歳の時であり、家康陣に九度に及ぶ攻撃をして銃弾を受け討死し、山県の被官志村又右衛門が走り寄り、主人の首級を切り落とし、遺体はくれぐれも供養をお願いする旨の書状と、短刀小… 続きを読む 山県昌景陣地(山県三郎兵衛昌景の墓、高坂又八郎助宣の墓他)

徳川家康本陣地

2014年08月16日 い「家康が本陣ここに八剱山」(設楽原古戦場いろはかるた看板資料より) 天正3(1575)年5月、武田軍に包囲された長篠城を救援するため家康は織田信長と共に設楽原に出陣した。家康はこの弾正山に本陣を… 続きを読む 徳川家康本陣地

一重柵(大宮川)

2014年08月16日 ゐ「井戸がわり大宮川で渇いやす」(設楽原古戦場いろはかるた看板資料より) 設楽原には二つの川の流れがあって、東側が連吾川、西側が大宮川で、ともに南進して豊川へ出る手前で合流している。戦いに臨んだ織… 続きを読む 一重柵(大宮川)

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カテゴリー: 新城市

羽柴秀吉陣地

2014年08月16日 は「はたぼこと秀吉陣地の名を伝う」(設楽原古戦場いろはかるた看板資料より) 信長の本陣茶臼山を軸として、一帯に部将がそれぞれ陣を敷いた。藤吉郎秀吉は時に39才、壮年有為の指揮官として、ひょうたんの… 続きを読む 羽柴秀吉陣地

岡崎信康本陣地

2014年08月16日 2003年10月12日 岡崎三郎信康は徳川家康の嫡男であり、設楽原合戦には17歳のときに参戦して、松尾山に布陣した。まだ若輩者だったせいか本陣の場所は最前線である父、家康の本陣の後方であり、信長の… 続きを読む 岡崎信康本陣地

織田信忠本陣地

2014年08月16日 北畠信雄本陣地から更に前線に向かったところの天神山に織田信忠の本陣地があります。家康の嫡男である岡崎信康本陣地の後ろに位置する。 2003年10月12日 北畠信雄本陣地から更に前線に向かったところ… 続きを読む 織田信忠本陣地

北畠信雄本陣地

2014年08月16日 2003年10月12日 北畠信雄は信長の二男であるが、当時北畠家を継いでいた。場所は織田信長本陣極楽寺跡と、織田信忠本陣地の間であり、合戦中は信長は茶臼山に布陣したため、織田・徳川連合軍の最後尾の… 続きを読む 北畠信雄本陣地

平井神社

2014年08月16日 天正3年5月18日、信長は長篠城から5km半ほど手前の、ここ極楽寺山から平井神社にかけて本陣を置いた。・信長の記録に「志多羅之郷極楽寺山に御陣」とある。・当時、極楽寺はすでに無かった。(看板資料よ… 続きを読む 平井神社

姥ヶ懐(武田浪人組陣地、三枝兄弟の墓)

2014年08月15日 姥ヶ懐の地名は、日だまりの、姥の懐のように穏やかで暖かい地形を呼ぶとされ、この地特有の言葉ではないようである。このような所、低くて展望も十分でない。しかも上に登れば、いかにも砦にふさわしい鷹の松が… 続きを読む 姥ヶ懐(武田浪人組陣地、三枝兄弟の墓)