2015年05月03日 武田信繁の墓碑由来について永禄4年9月の川中島合戦は、信玄対謙信の最大の戦いで両軍とも有名な武将を多く失っている。信玄方の副大将であった信繁もこの激戦において戦死した。最後まで信繁のそばで奮戦した… 続きを読む 武田信繁首塚
史跡の種類: 墓
心眼寺
2015年02月28日 真田幸村出丸城跡 従五位下 真田左衛門佐豊臣信繁之墓 真田信繁は、武田信玄配下の武将であった、父真田昌幸の次男、通称は源次郎、号は好白。関ケ原の戦いでは父と共に西軍に付くも、戦いに敗れ、紀州九度山… 続きを読む 心眼寺
宗源院
2015年02月07日 宗源院は維新の頃まで7万坪に及ぶ広大な寺域を擁していたが、明治政府に上地して縮小をみるに至った。開創は在天雲和尚。応永23(1416)年のことだといわれる。開基は吉良氏である。くだって戦国時代、駿… 続きを読む 宗源院
平手神社
2015年02月07日 織田信長の重臣の一人であった平手汎秀(監物)の墓碑が稲葉山にある。ここが平手監物汎秀の終焉地といわれ彼を祀る祠がある。彼の父は織田信秀の老臣平手政秀である。若き信長の補佐役となり、主人の放埓を死を… 続きを読む 平手神社
景徳院
2014年12月27日 景徳院(田野寺)は、曹洞宗下総国総寧寺の末寺で、開基は徳川家康、開山は炊けだの臣小宮山内膳の弟で、中山広厳院第7世拈橋和尚である。また、同寺一帯は武田家滅亡の地として有名で、山梨県の史跡でもある。… 続きを読む 景徳院
栖雲寺
2014年12月27日 本堂 貞和4(1348)年、業海本浄禅師が開山した禅寺で、業海は文保2(1318)年に元の国に渡り中峯普応国師に師事し、元の天目山で修行して帰国後武田家の招聘によりこの寺を開いた。以来、武田家の信… 続きを読む 栖雲寺
竜雲寺
2014年12月21日 竜雲寺は守護大名今川7代の当主氏親の夫人龍雲寺殿峰林寿桂大禅定尼(寿桂尼)の菩提寺である。寿桂尼は京都の中御門権大納言宣胤の女で、永正5(1508)年今川氏親に嫁して、3男4女を生んだ。氏親は晩年… 続きを読む 竜雲寺
祐泉寺
2014年12月07日 戦国時代西暦1567年早雲寺第8世梅隠宗香禅師を開山とし、小田原北条氏初祖早雲の三男幻庵の嫡男新三郎が建立する。新三郎は蒲原城主として駿河進攻を目指す武田信玄に対する中心武将として対峙していたが、… 続きを読む 祐泉寺
霊泉寺
2014年12月07日 臨済宗妙心寺派 霊泉寺旧昔清水市江尻城主武田家軍師穴山梅雪公の菩提寺で自らを墓所として霊泉寺を開き天下の高僧速伝宗販老師を招いて開山とし現在裏山に公の墓所がある。宝物は静岡県重要文化財として指定さ… 続きを読む 霊泉寺
桂昌寺
2014年11月23日 永正10(1504)年に安中忠親が開基となり、天陰玄鎖によって開かれた。「秋間志」では念空上人のために忠親が建立したとある。安中城の鬼門の方向に位置し、有事の際の砦の役割もあったと言われている。桂… 続きを読む 桂昌寺
久昌寺
2014年11月23日 本堂 開基は安中忠清、開山は月巣玄鶴とされ、大永5(1525)年に忠清が松井田城より現在の久昌寺の地に移って榎下城(鶴巻城)を築いた時に建立したと伝えられる。しかし「上野国郡村志」には忠清の開基、… 続きを読む 久昌寺
全性寺
2014年11月23日 永禄11(1568)年に松井田城が落城し、城主安中忠正(忠政)は自刃し、子の忠盛が父の菩提を弔うために忠正を開基、桂昌寺五世然室玄廓を開山として全性寺を建立したと伝えられる。(西上州の中世より) … 続きを読む 全性寺
長源寺
2014年11月23日 嘉吉3(1443)年に希明清良が開山、後閑城主依田信濃守政知(法名:長源寺殿大材全棟庵主)が開基とされ、後閑城主新田伊勢守信純が中興開基とされる。22世界瑞寅国の時に末寺門葉185ヶ寺の本寺として… 続きを読む 長源寺
補陀寺
2014年11月23日 美濃国の大泉山補陀寺の住職無極慧徹は師の最乗寺(神奈川県南足柄市)住職了庵慧明に会うため、寺を弟子の月江正文に譲り、最乗寺を目指す途中、松井田で熱心な信者に出会い、ここに止まり草庵を開くことになっ… 続きを読む 補陀寺
村上義清公墓所
2014年11月08日 この墓所は、第三代坂木代官長谷川安左衛門利次が、名家遺跡の忘失を憂え、戦国の雄村上義清公の墓所建設を思いたち、明暦3(1657)年義清公の玄孫義豊や村上氏の臣出浦氏の子孫、正左衛門清重らにはかり、… 続きを読む 村上義清公墓所
信綱寺
2014年09月28日 大柏山 信綱禅寺当寺の創建は室町期、横尾城の東の梅ノ木に横尾氏の菩提寺として好雪斉大柏寺と呼ばれ、横尾氏滅亡(上田原合戦)後、真田信綱公が寺を打越に移し、大光智照禅師を迎え大柏山打越寺と名付けられ… 続きを読む 信綱寺
長谷寺
2014年09月28日 真田山長谷寺当寺は往古「種月庵」という無住の小寺に、天文16(1547)年に真田幸隆公が上州安中の長源寺より晃運和尚を招いて「真田山種月院長谷寺」として創建された。天正16(1588)年真田昌幸公… 続きを読む 長谷寺
無名戦士の墓
2014年09月28日 石久摩神社の本殿裏を進むと道路があってその先は田圃でした。収獲された稲が干してありましたがその中に無名戦士の墓があります。 2009年10月04日 石久摩神社の本殿裏を進むと道路があってその先は田… 続きを読む 無名戦士の墓
小島権兵衛の墓
2014年09月28日 天文17(1548)年、甲斐の武田晴信(信玄)と村上義清が上田原の地で対決した上田原の戦いは、村上軍の攻撃により武田軍の武将板垣信方・甘利虎泰らが戦死し、大将の晴信も傷を負い武田軍が大敗した。村上… 続きを読む 小島権兵衛の墓
屋代源吾の墓
2014年09月28日 伝 屋代源吾の墓(下之条壱丁田)天文17(1548)年、甲斐の武田晴信(信玄)と村上義清が上田原の地で対決した上田原の戦いは、村上軍の攻撃により武田軍の武将板垣信方・甘利虎泰らが戦死し、大将の晴信… 続きを読む 屋代源吾の墓
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