明徳寺

2005年09月24日

高坂昌信の墓があるとのことでしたので明徳寺に寄りました。墓所は本堂に向ってすぐ左側にありました。特に説明文もなく、お寺の方に尋ねてみましたが、詳しいことは分からないそうで、松代の真田宝物館に行くよう勧められてしまいました。

高坂弾正忠は武田信玄の有力な武将で、知勇兼備の将と云われている。
越後の上杉勢に備え、選ばれて海津城代となっていた。
川中島合戦には最前線の守将として目覚しい働きをなし、戦後は敵味方の区別なく丁重に戦死者の遺体処理に当り名声をあげた。
天正6年海津城内で病没、明徳寺に葬った。
また蛙合戦で知られており、毎年春桜の咲くころになると遠近より数千匹の蛙がこの寺内にある小池に集まってきて一夜を鳴き明かすのである。
(松代商工会議所発行ガイドより抜粋)


高坂弾正墓所

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