平賀源心胴塚

2015年06月28日

歴史及び伝説
海ノ口城主平賀源心成頼は天文5年12月28日に武田信玄の奇襲にあい戦死した。不落を誇り武田氏をなやました海ノ口城は信玄16才の初陣の手柄により遂に落城し源心の遺骸がこの場所に埋められていると伝えられている。又甲斐国志古墳の部には平賀源心正覚寺に牌立す。元信院求堅大居士とあり、山梨県若神子村の路傍に平賀源心の墓がある。伝説によれば首実検のため首だけ持ち帰り若神子に葬り、胴はこの地に埋めたと言う。高さ約1メートル直径約4メートル位のつき山は、何万個という石が旅人により供えられている。
(石碑資料より)

平賀源心の胴塚
平沢の大門峠の峰に川原という所があって、そこに平賀源心の胴塚がある。これは、武田信玄が海ノ口城を攻めて討ち破ったとき、源心の亡骸をここまで運んで来たが、あまりに体が大きくて重いので、その首を打ち落として胴をここへ埋めた。
今、この塚の上に地蔵様が祀られている。源心の首は甲州の若神子村(現在の山梨県北巨摩郡須玉町若神子)に首塚として祀ってある。
(南牧村の伝説より)


2012年04月30日

平賀源心の胴塚
平沢の大門峠の峰に川原という所があって、そこに平賀源心の胴塚がある。これは、武田信玄が海ノ口城を攻めて討ち破ったとき、源心の亡骸をここまで運んで来たが、あまりに体が大きくて重いので、その首を打ち落として胴をここへ埋めた。
今、この塚の上に地蔵様が祀られている。源心の首は甲州の若神子村(現在の山梨県北巨摩郡須玉町若神子)に首塚として祀ってある。
(南牧村の伝説より)


2007年10月07日

「逆さ柏」をどうしても見つけることができず、今日の史跡探索を終えて帰路に向いましたが途中、獅子岩という絶景を楽しむことができる場所を発見しました。
雄大な八ヶ岳を見ることができます。そしてそのまま南に向ったらなんと平賀源心の洞塚がありました。
ここにも以前来たことがありましたが、前回来たときは南側からしかも大雪の中だったのですっかり雰囲気が違いました。
それに「平賀源心の洞塚」と書かれた棒杭が真新しいものに変わっていました。
きっと大河ドラマの影響なのでしょう。塚が草木に覆われてしまって洞塚そのものは確認しづらくなっていました。


2004年12月30日

平賀源心の墓は麓の旧須玉町役場にあり、以前に行ったこともありましたがそれとは別に胴塚というものがあるという情報を得ていたので今回寄ってみました。
場所は野辺山高原カントリークラブの裏側で八ヶ岳がきれいに見えるといわれている獅子岩の少し南側です。
前日雪が降っていたので清里駅周辺にくるとまわりは雪で、小さい道に入ればまったくの雪道でした。
清里駅から平沢を経由して入って行ったのですがスキー場に向うような感じでした。
幸いタイヤチェーンをつけることなくたどり着けました。途中後を振り向くと南アルプスの山々をきれいに見ることができました。

歴史及び伝説
海ノ口城主平賀源心成頼は天文5年12月28日に武田信玄の奇襲にあい戦死した。
不落を誇り武田氏をなやました海ノ口城は信玄16才の初陣の手柄により遂に落城し源心の遺骸がこの場所に埋められていると伝えられている。
又甲斐国志古墳の部には平賀源心正覚寺に牌立す。
元信院求堅大居士とあり、山梨県若神子村の路傍に平賀源心の墓がある。伝説によれば首実検のため首だけ持ち帰り若神子に葬り、胴はこの地に埋めたと言う。
高さ約1メートル直径約4メートル位のつき山は、何万個という石が旅人により供えられている。
(石碑資料より)

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