竜地の楊枝梅

2009年12月29日 山梨県指定天然記念物竜地の楊子梅「ウメ」といわれているが「アンズ」である。武田信玄が信濃へ出陣の際、この地で休息し、梅干を楊子に刺して食べ、その種子から発芽したという言い伝えがある。そして実った果… 続きを読む 竜地の楊枝梅

金剛寺

2009年12月29日 武田信春が応永10(1403)年に創立したといわれ、もとは金剛寺集落の南にあったと伝えられる。(山梨県の武田氏伝説より) この寺にある折戸の香炉は唐の玄宗の重器で、信玄が寄贈したものという。(山梨… 続きを読む 金剛寺

勝山古戦場

2009年12月29日 ①天文7(1538)年7月18日に、ここで小笠原長時・諏訪頼重の連合軍と四度戦って、武田信虎が大勝を博したという。②宇津谷の枝村滝沢組の西南の狐山、東は神田境より南原の中を信玄の戦場と言い伝えてい… 続きを読む 勝山古戦場

妙善寺

2006年03月12日 甲斐市の妙善寺というところに、阿部勝宝の墓があるという情報を入手したので寄ってみました。現地では安倍加賀守の墓として説明されていました。境内を探したのですが見つけることができず、お寺の方に場所を教… 続きを読む 妙善寺

高岩

2014年07月20日 高岩「信玄堤」は、釜無川・御勅使川の洪水を防ぐために戦国時代に武田信玄の命によりつくられたといわれます。また「信玄堤」のほかにもいろいろな施設で釜無川・御勅使川の洪水を防いでいます。特に御勅使川の… 続きを読む 高岩

一番二番出し

2014年07月20日 一の出し、二の出し「信玄堤」は、釜無川・御勅使川の洪水を防ぐために戦国時代に武田信玄の命によりつくられたといわれます。また「信玄堤」のほかにもいろいろな施設で釜無川・御勅使川の洪水を防いでいます。… 続きを読む 一番二番出し

信玄堤

2014年07月20日 富士川は日本でも有名な急な流れの川です。このため大雨のときには、たびたび荒れ狂います。現在のようにコンクリートも機械も無い大昔に荒れ狂った川の洪水を防ぐ事は大変なことでした。この「聖牛」は、洪水の… 続きを読む 信玄堤

黄梅院

2014年07月20日 黄梅院跡黄梅院は、27歳で無くなった武田信玄の娘(名不詳、法名【黄梅院殿水鳳瑞尼】或いは【黄梅院殿春林宗芳大禅定尼】)の供養のため建立された寺院といわれています。娘は天文12(1543)年に信玄と… 続きを読む 黄梅院

泣石

2014年07月20日 下今井字鳴石のJR中央線と県道との間にあり、現在地より約100m南東にあった。高さ約3.8m、巾約2.7m、奥行約3.7mで中央部から水が流れ出ていたが、鉄道の開通により水脈が断たれてしまった。天… 続きを読む 泣石

回看塚

2013年09月07日 回看塚(みかえりづか)天正10(1582)年3月2日、武田軍の信州高遠城は織田軍の猛攻撃により落城した。翌3日早朝、この報を受けた武田勝頼は在城わずか68日の新府韮崎城に火を放ち、夫人や子供、わず… 続きを読む 回看塚

天沢寺

2014年07月20日 天沢寺は文明4年亀沢郷の地頭飯富氏が鷹岳宗俊禅師を開山に請じて開基した禅刹で北岳禅林の名で知られている。開基檀那飯富氏は逸見光長の子飯富宗李を祖とする甲斐源氏で子孫は武田家の重臣として亀沢、西八幡… 続きを読む 天沢寺

慈照寺

2014年07月20日 有富山「慈照寺」は曹洞宗(禅宗)の別格地で24ヶ寺の本寺である。古くは真言の寺院であったが、室町時代の延徳元(1489)年8月開祖真翁宗見禅師(竜華院開祖桂節宗昌禅師の法嗣)によって禅寺に改めて開… 続きを読む 慈照寺

武田不動尊

2004年12月30日 武田不動尊永禄年間武田信玄公は穂坂の牧の一部であった地蔵ヶ原の開拓を志し附近の住民をこの地に集め屋敷を与え租税を免除して新田を開発し竜地宿をつくった。当時武田家からの朱印状は石柩に長く保存されてい… 続きを読む 武田不動尊