2013年01月04日 椋神社には本堂があり、ちょうど神社の方がいたので話を聞くことができました。武田軍に焼かれた椋神社は今の本堂の場所から少し離れたところにあったであろうとのことでした。また、すぐ近くの阿熊という部落の… 続きを読む 椋神社
カテゴリー: 秩父市
菊水寺
2013年01月04日 武田信玄に焼かれたお寺として菊水寺を探しました。現地の正面に立ってみると菊水寺という名前は小さく彫られていて、大きく長福寺と彫られていました。本堂の中に入ってみるとお坊さんがいたので聞いてみました… 続きを読む 菊水寺
広見寺
2013年01月04日 惣門は、桁行2.54m、梁間2.12m、切妻造、茅葺型銅板葺の禅宗様四脚門で、17世紀の造営と考えられる。この門は、随所に中世の手法を用い、門に調和した妻飾り、茅葺型屋根の堂々とした外観は、県下で… 続きを読む 広見寺
秩父神社
2013年01月04日 未だ群雄割拠の戦国時代、当社は甲斐の武田信玄公の手により、永禄12(1569)年に焼失の後、徳川家康公の力により現在のご社殿が再建されました。家康公は、寅の年、寅の日、寅の刻生まれということで、虎… 続きを読む 秩父神社
今宮神社
2013年01月04日 永禄12(1569)年長岳山金剛寺、大宮山満光寺、今宮観音堂、橋立観音、八大権現社、弁天堂を統括して長岳山今宮坊を称す。長岳山は武甲山を指すものか。49寺を配下に擁し、本山派修験聖護院末26寺の1… 続きを読む 今宮神社
熊倉城
2013年01月04日 南曲輪と本丸 熊倉城跡平面図 関東管領山内上杉の家老長尾昌賢の死後、山内顕定は昌賢の弟忠影を家老とした。しかし昌賢の子景春はこれに不満を持ち、文明6(1474)年主家山内家に反旗を翻した。これを知… 続きを読む 熊倉城
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