西福寺

2014年05月24日 清林宗泉なる者が明応2(1493)年8月に草庵を造った。5代目の圭獄珠白禅師は博識碩徳で人望があった。このために武田氏の帰依を受けて、永禄8(1565)年11月15日に堂宇造営の助成として一貫二百… 続きを読む 西福寺

長興寺

2014年05月24日 本堂 洗馬氏の開基という。天文23(1554)年に洗馬氏は滅んで武田氏の管轄となった。ここに小笠原氏の旗下の三村肥後入道が西洗馬に住んで、小笠原氏と武田氏の戦争の機に臨んで、密かに武田氏に通じて親… 続きを読む 長興寺

耳塚神社

2014年05月24日 伝説耳塚様と呼ばれ昔は耳の病気の直ることを祈った。桔梗ヶ原の戦いとか安曇族王に関係ありとも言われる。明治29年先祖が野ざらしになっていた塚に祠を建て2本の剣を御神体として祀った。耳の形に似た素焼き… 続きを読む 耳塚神社

釜井庵

2014年05月24日 夜泣き石 伝説 夜泣き石洗馬一族主従が信玄に謀殺された頃から夜更にすすり泣く(棒杭に記載された文章より) 塩尻峠を制する者は信州を制するといわれ、その足がかりとして重要な峠である。武田信玄は塩尻峠… 続きを読む 釜井庵

北熊井城

2014年05月24日 形式主郭は戦国時代の早い時期にでき、だんだん追加されていったが、戦国末期の一連の平山城と思われるので包括的に記す。熊井城のような平山城は新しいという見方もあるが、主郭の周りの土塁が高く、人馬の出入… 続きを読む 北熊井城

大宮八幡

2014年05月24日 所在地:塩尻市大字片丘6889番地所有者:大宮八幡宮イチイ(イチイ科)は別名アンコ、アララギ、スオウノキ南信ではミネゾウと呼ばれ雌雄異株の常緑高木で中部地方以北の温帯林から亜寒帯林に分布する陰樹で… 続きを読む 大宮八幡

永井坂戦跡

2004年06月19日 塩尻峠の合戦の際の戦死者を祀ってある、首塚・胴塚の場所を探しているときに、旧中山道沿いを塩尻峠に登る方向に向って、長井坂戦跡という看板があったのですが、首塚・胴塚の場所を教えてくれた老人が、長井坂… 続きを読む 永井坂戦跡

首塚・胴塚

2014年05月24日 首塚 首塚・胴塚の由来今を遡る事、434年前、歴史上戦国時代と言われる天文17年7月19日甲斐の武田信玄軍と松本林城主小笠原長時軍とが永井坂において交戦し数時間に及ぶ激戦の末、戦いは小笠原軍の破れ… 続きを読む 首塚・胴塚