信永院

2011年12月30日 金峰山信永寺曹洞宗。上州多胡郡神保つ村仁叟寺も末寺。天文元(1532)年望月左衛門尉信永の開基であり、荘厳和尚の開山と伝えられている。本堂は江戸末期の建築。本尊釈迦如来像は江戸中期の作。本堂前にあ… 続きを読む 信永院

城光院

2011年12月30日 曹洞宗。甲州北巨摩郡大八田村清光寺。文明7(1475)年望月城主望月遠江守光恒の開基。南浦宗清和尚の開山と伝えられ望月城跡西方の麓にあって望月氏代々の菩提寺である。本堂は享和期(江戸後期)の建築で… 続きを読む 城光院

勝手神社

2011年12月30日 永禄年中(1558~70)に武田信玄が社前を乗り打ちして落馬したという。(長野県の武田信玄伝説より) 最初は場所が分からず探すのに苦労しましたが、近所のご婦人に場所を教えてもらいました。コミュニテ… 続きを読む 勝手神社

籠石

2010年01月31日 ①佐久市平賀の城山の西側に、籠石というところがある。そこには三間(約5m)に二間位(約4m)の大きな四角の石がある。武田信玄が平賀源心を攻めた時、信玄の籠石をその上にのせた。そこで籠石といい、今で… 続きを読む 籠石

信玄の兜石

2014年05月03日 ①臼田町の勝間に信玄の兜石と呼ばれている、高さ三尺(約1m)ばかりの三角形の石がある。天文(1532~55)の頃、武田信玄が佐久に攻め入り、この地方の豪族と戦った時、ここを通りしばらく軍をとめて休… 続きを読む 信玄の兜石

吉祥寺

2010年01月31日 寺伝によると、正慶2(1333)年に北条時俊がこの地に住み入沢と姓を改めて、諏訪の入りに寺を開いて菩提寺とした。天文9(1540)年武田氏が佐久に侵入した時、入沢時広は武田氏と戦って敗れて佐久から… 続きを読む 吉祥寺

春日城

2010年01月31日 秋葉社 春日城は鹿曲川渓谷の最奥部、鹿曲川と支流細小路川に挟まれた丘陵末端にある。東南西は山稜に囲まれ、北方のみわずかに開け、この谷を下れば天神林城・望月城に通じる。北側崖下に居館跡があり、南方の… 続きを読む 春日城

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カテゴリー: 佐久市

入沢城

2010年01月31日 入沢城は関東山地から西に走る一支脈の末端、入沢村の南方山上にあり、南西斜面には吉祥寺(曹洞宗)、西方脚下に八幡社、北方には大宮諏訪社があり、その近辺を「北小屋」と称している。城に関する明確な記録は… 続きを読む 入沢城

湯原城

2009年05月05日 湯原城には永正年間から湯原氏が拠っていたが、大永年間頃相木氏系依田氏がこれを奪って在城した。依田氏は武田氏が佐久に侵入するとこれに降り、その後も続いて在城したものと考えられている。城に近い湯原神社… 続きを読む 湯原城

医王寺城

2014年05月03日 「信陽雑誌」享禄元(1528)年の条に「当時佐久小県攻戦之地散在士」として数えあげられている中に、村上源五郎顕胤の名があり、その註に「不詳、或曰臼田城跡」としてある。これを受けて「南佐久郡古城址調… 続きを読む 医王寺城

荒山城

2014年05月03日 伴野氏前山城の属城である荒山城の名は、「貞祥寺開山歴代伝」の中に初めてみえる。大永元(1521)年以降、貞祥寺開基の伴野貞祥の弟刑部大輔貞慶およびその子兵庫助貞秀が在城した。天文18(1549)年… 続きを読む 荒山城

日向城

2009年05月05日 伝説的には長坂釣閑斎の居城とされているが、これについて「南佐久郡古城址調査」では「長坂釣閑斎光堅は甲州逸見筋長坂に其宅址があり、其所には土塁・隍等の跡があったと云へば、甲州に居て信玄・勝頼に仕へた… 続きを読む 日向城

円満寺

2014年05月02日 明治33(1900)年に書かれた寺伝によると、創立は康治2(1143)年平安時代で開祖は新義真言宗々祖興教大師とされています。その当時は現在の位置より南の大井城の辺りにあり、真言律宗無本寺という名… 続きを読む 円満寺

西念寺

2014年05月02日 西念寺は永禄3(1560)年岌往上人が武田信玄公の帰依を受け建立された浄土宗の寺である。開山岌往上人信濃に40ヶ寺、甲斐に25ヶ寺を建立された名僧である。西念寺は佐久の檀林と称されていた。小諸藩、… 続きを読む 西念寺

雁峰城

2008年09月24日 中小田切にある山城で、部落が三方から麓をかこむ位置にあります。南方と東方に大きな堀切りがあり、本丸の周囲に土居の残址、二の丸の跡等およびここに通ずるため本丸の腰に設けた腰曲輪の跡等が明らかに残るの… 続きを読む 雁峰城

自成寺

2007年10月07日 余地峠は長野県と群馬県の間にある峠ですが、現代の余地峠の道路は長野県側にしかないので途中で行き止まりになってしまうとのことです。残念ながらまだ私は余地峠に行ったことがないので現代の余地峠の様子は分… 続きを読む 自成寺

龍雲寺

2014年05月02日 曹洞宗大田山龍雲寺当寺院は鎌倉時代の初め、地頭大井氏(甲斐源氏)の菩提寺(臨済宗)として創建されたが、その後戦火のため荒れ果て、位置も現在地に移った。時あたかも甲斐国主・武田信玄が、信濃の経略が一… 続きを読む 龍雲寺

望月城

2003年09月23日 ここから南方の総合体育館裏山までの約2千メートルの間が望月城跡であり、望月氏の居城である。本地が本城で、主郭から三の郭までが構築され、南方の支城には五の郭までが確認できる。雄大にして堅固な山城で、… 続きを読む 望月城

前山城

2014年05月02日 本丸 前山城跡は、蓼科山の一支脈突端に位置し、本丸、二ノ丸、三ノ丸がほぼ一線につらなっている。北方は断崖の下を中沢川が流れ、東、南の二方は急傾斜で曲輪を設け、さらに屋根筋は堀切りによって防御線を構… 続きを読む 前山城

岩尾城

2014年05月02日 この城跡は、千曲川と湯川の合流点に近い丘陵上を利用した中世の平山城跡である。文明10(1478)年に佐久郡大井庄の地頭大井氏の支族大井行俊によって、この岩尾の地に築城されたといわれる。城跡は東方に… 続きを読む 岩尾城