2009年05月04日 和合城は岩鼻の断崖上にあるとのことでした。周辺で聞いた情報によるとベイシアフードセンター坂城店の裏の方に登り口があるとのことで現地に行ってみました。太郎山コースとして鼠宿→和合城跡→虚空蔵山→西峠… 続きを読む 和合城
カテゴリー: 坂城町
耕雲寺
2009年05月04日 武田信玄公が開基とのことで立ち寄りましたが、突然来られても困るとのことで詳しいことは分かりませんでした。本堂の屋根には武田菱の家紋でした。 この寺は信玄および勝頼の信仰が篤く、寺号も信玄によるもの… 続きを読む 耕雲寺
姫宮跡の碑
2014年11月08日 天文22(1553)年に葛尾城が自落した際、逃れた奥方がこの地で自害したと伝わります。寛延3(1750)年に建立された石祠が明治30年頃に自在神社奥社に移転されたため、大正13年に建碑されました。… 続きを読む 姫宮跡の碑
比丘尼石
2014年11月08日 苅屋原の山頂に、苅屋原に向って尼さんがお経を読んでいるような石が見えます。これが比丘尼石です。これは、村上義清公が葛尾城落城後、越後へ逃れた折、義清公の奥方は姫城を脱出して身の危険を感じ、苅屋原の… 続きを読む 比丘尼石
笄の渡し
2014年11月08日 時は戦国、室町末期。村上義清は幾年にもわたって武田信玄と激しい戦いを繰り広げていましたが、天文22(1553)年4月、ついに居城の葛尾城が陥落し、敗走の混乱の中、奥方と別れか別かれ城を後にしたので… 続きを読む 笄の渡し
坂城神社
2014年11月08日 武田信玄の坂木大宮神社にあてた社領寄進状 武田勝頼の坂木大宮神社にあてた社領安堵状 坂城町指定文化財~古文書①永禄11年9月20日、武田信玄の坂木大宮神社にあてた社領寄進状②天正7年2月武田勝頼の… 続きを読む 坂城神社
村上国清供養塔
2014年11月08日 義清亡き後の村上家を継いだのは、義清の子供として天文15(1546)年に生まれた村上景国でした。幼い時の名は源吾、始めは国清を名乗り、後に景国と改めました。彼は天文22(1553)年8月、父と共に… 続きを読む 村上国清供養塔
村上義清公墓所
2014年11月08日 この墓所は、第三代坂木代官長谷川安左衛門利次が、名家遺跡の忘失を憂え、戦国の雄村上義清公の墓所建設を思いたち、明暦3(1657)年義清公の玄孫義豊や村上氏の臣出浦氏の子孫、正左衛門清重らにはかり、… 続きを読む 村上義清公墓所
満泉寺(村上氏館跡)
2014年11月08日 この館跡は、村上氏が旧更科郡村上郷から坂城郷に移ったとされる南北朝時代末頃に葛尾城とともに構築し、戦国時代に信濃の一大豪族として活躍し、天文22年4月に村上義清が武田信玄により没落するまで、160… 続きを読む 満泉寺(村上氏館跡)
葛尾城
2014年11月15日 主郭 この城跡は、村上氏が坂城郷に居館を構えたと推定される南北朝時代の末頃から天文22年4月村上義清が没落するまで、村上氏歴代の本城であった。けわしい地形を利用して、最高所に本郭をおき、つづいてニ… 続きを読む 葛尾城