昌禅寺

2008年12月29日 昌禅寺は長野市上松(湯谷)にある曹洞宗のお寺である。正式の寺号は瑞雲山和合林昌禅寺、「和合のお寺」と通称されている。伝えによると昌禅寺はもと真言宗で順天山明徳院修善寺と号したという。戸隠、宝光社、… 続きを読む 昌禅寺

山千寺

2008年12月29日 旧山千寺観音堂及び境内長野市指定文化財山千寺は、その昔の繁栄を再現しようと、天文12(1543)年戸隠奥院円明坊融(佑)弘が、天台末派になることを条件に、戸隠一山の力を借り、十二坊を構えて開基した… 続きを読む 山千寺

天宗寺

2007年05月20日 由衣姫(武田勝頼の母)の母の墓 大岡村の天宗寺に由衣姫(武田勝頼の母)の母の墓があるとのことでしたので今回寄ってみることにしました。千曲市の屋代から現地に向かったのですが大岡村というのはすでに無く… 続きを読む 天宗寺

耕心庵

2015年06月13日 耕心庵縁起(甲信庵)川中島の合戦(4回目)が終りこの地方は武田方に属す。信玄公巡国の時、この地に立ち寄り、川中島合戦場を見下ろして、この處はまさに景勝地であると感嘆し、ここに禅寺を建立し、法性山甲… 続きを読む 耕心庵

古峰神社

2007年05月20日 清野氏の館跡とのことで今回立ち寄ってみました。妻女山への入り口のあたりかと思って行ったのですが私の勘違いで妻女山への道は別のところでした。途中何度か場所を尋ねながら行きましたが皆親切に教えてくれま… 続きを読む 古峰神社

十王堂

2007年05月20日 史跡 十王堂縁起戦国乱世永禄年間、上杉武田両将軍数度にわたる川中島合戦が続き、なかでも永禄4年の川中島平を中心とした戦いは歴史に残る大合戦にして、両軍将兵合わせて(一説には)6千有余名の戦死者を出… 続きを読む 十王堂

大堀館跡

2007年05月20日 武田方は善光寺別当栗田鶴寿を味方に引き入れることに成功し、旭山城に篭らせて鉄砲300丁を送り込んだといわれています。上杉方は旭山城に牽制され犀川を渡ることができず本陣を犀川北岸におきます。一方、武… 続きを読む 大堀館跡

昌龍寺

2007年05月20日 昌龍寺に大日方直長の墓があるとのことで立ち寄りました。大日方は「おびなた」と読むそうです。お寺の正面に向って右側に塔のような面白い建物がありました。これは鐘楼とのことでしたが資料が残っていないため… 続きを読む 昌龍寺

長沼城

2016年04月30日 本郭(主郭) 長沼城は千曲川左岸の自然堤防上に発達した集落、長沼にある平城である。文献上では至徳4(1387)年に島津太郎国忠が「長沼太郎」として記されているのが長沼の初見である。以降の室町時代に… 続きを読む 長沼城

髻山城

2007年05月20日 髻山城址ここ髻山城址は戦国時代数次の川中島合戦において、葛山・天峰山・旭山・横山・飯山の諸城と共に宿敵武田信玄の野望を粉砕するため越後(現新潟県)の勇将上杉謙信の重要な砦であった。当髻山城は、本陣… 続きを読む 髻山城

大倉城

2016年04月30日 本郭(主郭) 当城についての文献は、弘治3(1557)年に葛山城が武田方によって落城させられた際、「島津方も大蔵之地へ先づもつて相移られ候」とあるのをもって初見とするが、この文言から大倉城が島津貞… 続きを読む 大倉城

戸隠神社(奥社、中社、宝光社)

2004年10月17日 ■ 奥社 ■ 長野県史跡 戸隠神社信仰遺跡戸隠神社は、奥社、中社・宝光社の三社からなっている。平安時代から修験道が行われ、日本有数の霊地として知られていた。縁起によると学問行者が修験を始めた年代を… 続きを読む 戸隠神社(奥社、中社、宝光社)

明徳寺

2005年09月24日 高坂昌信の墓があるとのことでしたので明徳寺に寄りました。墓所は本堂に向ってすぐ左側にありました。特に説明文もなく、お寺の方に尋ねてみましたが、詳しいことは分からないそうで、松代の真田宝物館に行くよ… 続きを読む 明徳寺

長国寺

2005年09月24日 国指定史跡 旧松代藩主墓所歴代藩主墓所初代藩主霊屋[重要文化財]四代藩主霊屋[県宝]開山堂[県宝]墓域の一部をのぞく長国寺の全域が国の史跡に指定されている。(看板資料より) 拝観料を支払うとお寺の… 続きを読む 長国寺

真田邸

2004年05月22日 松代城跡のうち唯一残った建物です。この建物は文久2(1862)年の改革のおり、参勤交代制度が緩められ、江戸住まいを命じられていた9代藩主の母お貞の方が松代に帰ることとなり、その居宅としてつくられた… 続きを読む 真田邸

真田宝物館

2004年05月22日 ホームページ 真田氏について真田氏は信濃国小県郡真田町を発祥の地とし、豪族滋野氏の一族であるといわれている。天文年間、真田幸隆が武田信玄につかえ、北信濃・上州攻略に参加し勢力を伸ばした。幸隆の長男… 続きを読む 真田宝物館

妻女山

2013年07月21日 妻女山のご案内上杉本陣の妻女山の歴史永禄4(1561)年8月、上杉謙信は妻女山に1万3千の陣を置き、茶臼山・海津城の武田信玄の軍勢2万とにらみ合いを続けていた。9月になり、信玄の家来で軍師の山本勘… 続きを読む 妻女山

会津比売神社

2009年10月09日 鞍掛松永禄4年秋九月、上杉謙信が川中島大決戦の前、妻女山に本陣を構えて、会津比売神社に必勝を祈願した時、乗馬の鞍を掛けたという由緒を秘めた松である。以来村の誇りとして村人は、昭和8年2月に名松の碑… 続きを読む 会津比売神社