2016年05月01日 本郭 旭山城は善光寺の南西にある旭山の山頂にある。東側は山麓の直下を裾花川が南流し、南方約7㎞の地点には犀川が東流しており、難攻不落の天然の要害といえる。また眼下に善光寺平一帯を見下ろすことのでき… 続きを読む 旭山城
カテゴリー: 長野市
霊山寺
2016年05月01日 花岡平と霊山寺花岡平には善光寺縁起書や信濃砂々礼石などの古文書によると、今から1300年ほど前、善光寺如来が安置されていました。後に参詣人の便の為に現在の場所に移されました。霊山寺は上水内郡信濃町… 続きを読む 霊山寺
謙信物見の岩
2016年05月01日 2004年05月22日 上杉謙信の物見の岩、物見の岩などともいうらしいが地元では謙信物見の岩といっているそうである。その名の通り上杉謙信がここから善光寺平を眺めたところだそうだが、確かに景観は絶景… 続きを読む 謙信物見の岩
大峰城
2016年05月01日 永禄(1558-69)初年、甲斐の武田信玄が、飯縄山の東麓から越後の上杉謙信の軍勢が善光寺町に侵入するのを防ぐため、ここに砦を築いたのが初めである。信玄はこのほかにもすぐ西側にそびえる葛山、裾花川… 続きを読む 大峰城
葛山城
2016年05月01日 葛山城は善光寺の西北に位置する葛山の山頂に構築された複合的な山城で標高800mを超える高所にあり、東・南の両面、とりわけ南側は急峻な地形を呈している。南の麓直下を流れる裾花川を挟んで旭山城と相対し… 続きを読む 葛山城
皇足穂命神社
2016年05月01日 飯縄神社里宮飯縄神社は、西暦270年頃、第15代応神天皇の御代、飯縄山頂に天神大戸道尊を祭り、飯縄大明神と称したのがそもそもの起こりで、仏教伝来の後、本地を大日如来とし、嘉祥元(848)年、学問行… 続きを読む 皇足穂命神社
長沼城
2016年04月30日 本郭(主郭) 長沼城は千曲川左岸の自然堤防上に発達した集落、長沼にある平城である。文献上では至徳4(1387)年に島津太郎国忠が「長沼太郎」として記されているのが長沼の初見である。以降の室町時代に… 続きを読む 長沼城
大倉城
2016年04月30日 本郭(主郭) 当城についての文献は、弘治3(1557)年に葛山城が武田方によって落城させられた際、「島津方も大蔵之地へ先づもつて相移られ候」とあるのをもって初見とするが、この文言から大倉城が島津貞… 続きを読む 大倉城
川中島古戦場
2016年04月29日 八幡社本殿 八幡社御由緒祭神の誉田別尊は第15代応神天皇の諱で神功皇后を母とし在位41年に亘り大陸の文化を積極的に取り入られ、古代日本の文化の向上、国家の発展に尽くされた御功績が仰がれ皇室の崇敬す… 続きを読む 川中島古戦場
善光寺
2016年04月29日 善光寺本堂(国宝)現在の善光寺本堂は、宝永4(1707)年幕府御抱えの名匠甲良宗賀の設計により再建された、江戸時代中期の仏教建築を代表する傑作です。高さ約25.82m、奥行き約53.67m、総面積… 続きを読む 善光寺
茶臼山
2015年06月13日 戦国時代、ここ信濃(長野県)の川中島の地をめぐり、甲斐(山梨県)の武田信玄と越後(新潟県)の上杉謙信が幾度か激突した。その中で最も激しい戦いとなったのが、永禄4(1561)年の「川中島の戦い」であ… 続きを読む 茶臼山
牧之島城
2015年06月13日 本丸跡 牧之島城案内図 御前水井 本丸跡 城は、南、西、北の三方を犀川がめぐり、東部一方が山部に続く舌状台地のほほ中央にあり、自然の断崖絶壁と深沢を利用し、これに人工の堀を加えた平城である。現存す… 続きを読む 牧之島城
寺尾城
2015年06月13日 寺尾城は松代町東寺尾にある。地の利を生かし、天険の地に築かれた寺尾氏の要害で、平野部に半島状に突き出た城山の最高所にあって、のちには海津城の東方の外郭として重要な位置を占めるようになった。寺尾氏は… 続きを読む 寺尾城
尼厳城
2015年06月13日 伝承によれば、尼厳城(別名東条城)は、鎌倉時代以前から築城されていた難攻不落の山城である。周りの霞城、金井山城、寺尾城はその支城と伝えられている。弘治2(1556)年、武田信玄は真田幸隆に尼厳城の… 続きを読む 尼厳城
耕心庵
2015年06月13日 耕心庵縁起(甲信庵)川中島の合戦(4回目)が終りこの地方は武田方に属す。信玄公巡国の時、この地に立ち寄り、川中島合戦場を見下ろして、この處はまさに景勝地であると感嘆し、ここに禅寺を建立し、法性山甲… 続きを読む 耕心庵
妻女山
2013年07月21日 妻女山のご案内上杉本陣の妻女山の歴史永禄4(1561)年8月、上杉謙信は妻女山に1万3千の陣を置き、茶臼山・海津城の武田信玄の軍勢2万とにらみ合いを続けていた。9月になり、信玄の家来で軍師の山本勘… 続きを読む 妻女山
上杉謙信槍尻之泉
2013年07月21日 永禄4(1561)年川中島合戦の時、妻女山に陣を置いた上杉謙信は、戦いの勝利を神仏に祈願するため、時折、麓の会津比売神社(神社境内には「謙信鞍掛の松」がある)や岩野村にあった聖観音菩薩像(伝行基作… 続きを読む 上杉謙信槍尻之泉
地蔵寺
2013年07月21日 原大隅守の墓 『甲陽軍艦』では、永禄4(1561)年9月10日の第4回川中島の戦いで、八幡原の信玄本陣に単騎乗り込んだ上杉謙信に向け、鑓を繰り出し、信玄の窮地を救った人物として書かれている。同書に… 続きを読む 地蔵寺
桑山茂見の墓(狐丸塚)
2013年07月21日 桑山茂見は武田方の小笠原若狭守長詮の家臣である。永禄4(1561)年9月10日、霧の中での混戦と上杉軍の奇襲攻撃で、武田軍は武田典厩信繁、山本勘助、諸角豊後守が相次いで討死した。小笠原若狭守も三階… 続きを読む 桑山茂見の墓(狐丸塚)
松代城(海津城)
2013年07月21日 史跡松代城跡松代城は、甲斐の武田信玄が越後の上杉謙信との「川中島の合戦」の際に、武田方の前進基地として築かれた海津城がその始まりといわれており、永禄3(1560)年頃に普請が完了したものと伝えられ… 続きを読む 松代城(海津城)
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