2006年12月30日 城山 現地で城山と呼ばれているところがあって上まで登ることができ、頂上には大きな松があるとのことでした。どこから登れば良いのか分からずしばらく街中を行ったり来たりしましたが、郵便局の近くのお宅で登… 続きを読む 市野瀬古城址
カテゴリー: 伊那市
一瀬越前守直忠の墓石
2006年12月30日 一瀬越前守直忠は剃髪後は、一瀬主水入道直繁と称した。その墓石は元来市野瀬の城山に続く峯にあったものである。かつて市野瀬の村中を流れる粟澤川の度々の洪水に悩まされていたのを高遠藩の許可を受け天保13… 続きを読む 一瀬越前守直忠の墓石
艮城
2006年12月30日 艮城は「うしとら城」と読みます。八人塚を探しているときに地元の人に、八人塚の近くに黒河内隼人正信の居城であるウシトラ城という城跡もあると教えてくれました。しかし現地には特に何もないとのことでした。… 続きを読む 艮城
八人塚
2006年12月30日 戦国時代の享禄元(1528)年信玄の父武田信虎が諏訪大社の神官諏訪頼満と境川で戦ったのが武田氏の信州侵入の最初であった。それ以降武田氏は信州侵入の挙に度々出たので、信州の諸豪族は武田氏に対し、城を… 続きを読む 八人塚
溝口城
2006年12月30日 天文年間に保科弾正忠正辰の次男である溝口民部正慶が初めてここに住んだ。正慶は弘治2(1556)年に武田晴信が伊那に乱入した際に、信玄に従わなかったので捕えられて狐島で殺された。(長野県の武田信玄伝… 続きを読む 溝口城
蟻塚城
2015年05月17日 蟻塚城について蟻塚城は築城当時の原形をとどめる県下にまれに見る山城、標高が800~840mである。雛壇式で、本郭、二の郭、袖郭等合わせて七段の雛段で、各郭の間には空掘を巡らしている。本郭は最上段に… 続きを読む 蟻塚城
天神山城
2015年05月17日 蟻塚城の南西約1km離れた位置に天神山が聳え立っており、この山頂に天神山城が築かれている。山頂は平坦で若干の土盛り跡、浅い堀跡を認める山城である。「高遠実記」に次のようなことが記されている。「治承… 続きを読む 天神山城
山田城
2015年05月17日 山田城の城跡は、高遠町三峰川左岸扇状地扇頂、大沢川の左岸に島状に突き出た標高857mの山頂に位置する。眼下に河南、高遠町一帯、高遠城を眺め、三峰川下流一帯を遠望し、天神山と対峙する。往古山田は伊勢… 続きを読む 山田城
桂泉院
2007年04月29日 仁科五郎盛信公位牌殿 仁科五郎盛信公の慰霊祭に参加させていただきました。実は掲示板で「仁科盛信の子孫殿」から4月29日に桂泉院および高遠城内の藤原神社にて慰霊祭および例大祭が行われるとの情報を教え… 続きを読む 桂泉院
建福寺
2007年04月29日 この日は、桂泉院にて行われる仁科五郎盛信公の慰霊祭に参加させていただくことになっていたので9時に高遠に来る必要がありました。前夜、諏訪湖SAで車中泊したので思ったより早く高遠に到着してしまいました… 続きを読む 建福寺
竜勝寺
2006年12月30日 竜勝寺には竜勝寺殿の墓があるとのことで今回寄ってみました。結論からいうと竜勝寺殿の墓をはじめとして位牌など彼女に関するものは何もなく、竜勝寺殿とは縁もゆかりもなさそうでした。ところで竜勝寺殿という… 続きを読む 竜勝寺
高遠城
2017年04月23日 2007年04月29日 新城(盛信)神社・藤原神社 4月29日に桂泉院および高遠城址公園内の藤原神社で行われた慰霊祭および例大祭に参加させていただきました。当日は朝9時に桂泉院に集合することになっ… 続きを読む 高遠城
的場城
2015年05月17日 蓮華寺と的場城 的場城は、蓮花寺の裏山にあり、高遠城と南北に相対している。的場城の歴史についての文献は無に等しいが、存在する場所からみて、諏訪方面と連絡する街道の抑えとなっていたことが知られる。同… 続きを読む 的場城
藤沢城
2015年05月17日 藤沢城遠景 藤沢城は蛇山とも呼ばれ、標高1032mの山頂には土塁に囲まれた平地と、南北の尾根に5本の堀が残っています。ここは松倉峠(金沢峠)と杖突峠からの道が合流する場所で、古来から交通の要衝でし… 続きを読む 藤沢城
一郎山(諸士の墓祠)
2017年06月11日 天正10年3月2日、織田信忠は五万余の大軍を持って高遠城を攻めた。仁科五郎盛信は僅か2~3千の兵をもってこれを迎え討った。激しい戦闘の後に落城し盛信は自害した。盛信や武将の遺骸は勝間の若宮原で火葬… 続きを読む 一郎山(諸士の墓祠)
二郎山(諏訪はな祠)
2017年06月11日 仁科五郎盛信の家臣諏訪勝右衛門頼清の妻で、天正10年高遠城の戦いにおいて、夫勝右衛門が討ち死にした後、仇討ちせんと、敵中に切り込んだ。紺糸の腹巻きに丈なす黒髪を乱して三尺ばかりの長刀を持って、敵2… 続きを読む 二郎山(諏訪はな祠)
三郎山(渡辺金太夫祠)
2017年06月11日 渡辺金太夫は名を照といった。遠州高天神城衆として徳川家康に属していたが、家康が天正2年武田氏との抗戦に敗れてから武田勝頼の麾下に加えられた。元亀元(1570)年には姉川の合戦で、一番槍の功名を立て… 続きを読む 三郎山(渡辺金太夫祠)
四郎山(小山田備中祠)
2017年06月11日 小山田昌辰は武田信玄の侍大将であった備中守の子で父と同じく備中守と呼ばれた。初め武田信玄に仕えたが、信玄没後は勝頼に仕えた。天正10年織田信忠が高遠城を攻めた時は高遠城の副将として仁科五郎盛信にそ… 続きを読む 四郎山(小山田備中祠)
五郎山(仁科五郎盛信祠)
2017年06月11日 天正10(1582)年、織田信忠は大軍を率いて武田氏討伐の兵を進めた。武田信玄の五男仁科五郎盛信は、兄勝頼の命により、高遠城主となってこれを迎え撃った。戦いは3月2日早朝より数時間に及び熾烈を極め… 続きを読む 五郎山(仁科五郎盛信祠)
殿島城
2017年06月11日 天文の昔平氏の遺孫粟田口民部重吉の16代の後裔がこの地に来て城を築く。この城を春日城という。城主は在名を氏とし伊那部大和守重慶といい、初め300貫文を領して10騎の将であったが次第に増大す。本姓は… 続きを読む 殿島城