三光寺

2016年12月18日 武田晴信が開基したので、現在でも花菱の紋を用いている。(長野県町村誌より) 応永2(1395)年に開基された。武田信玄の祖信重が僧となり、父信満のために城山の東麓の字満願寺に真如山満願寺を建て、真… 続きを読む 三光寺

高栄寺

2016年12月18日 永禄2(1559)年武田氏の創建と伝えられ、開山は盛喜和尚という。また、寺は武田信玄によって創立されたと伝えられ、永禄2(1559)年10月、富士見町立沢地籍焼地野に祈願寺として建立されたといわれ… 続きを読む 高栄寺

御射山社

2016年12月18日 ここに鎮座する御社山社は、建御名方命と国常立命を祭神としている。中世には、この社のある通称原山の一帯は神野と呼ばれる諏訪上社の社領で、上社の御射山御狩の祭事が行われていた。それは秋季の台風などが平… 続きを読む 御射山社

センボウ塚

2016年12月18日 池袋の馬冷場と呼ばれる池は、花鳥屋合戦の時に馬を冷した場所と伝えられている。池袋には花鳥屋合戦についての口碑が他にも残存し、馬冷場付近のセンボウ塚(センブ塚ともいう)はこの戦いで死んだ者の塚で、千… 続きを読む センボウ塚

九ツ塚跡

2016年12月18日 九ツ塚は、瀬沢合戦の戦死者を葬ったものと伝えられる。瀬沢合戦とは『甲陽軍鑑』によれば、およそ次のような合戦のことである。天文11(1542)年2月、信濃の小笠原・諏訪・村上・木曽の四大将は甲斐の武… 続きを読む 九ツ塚跡

瀬沢合戦跡

2016年12月18日 瀬沢合戦とは、『甲陽軍鑑』によればおよそ次のような合戦のことである。天文11(1542)年2月、信濃の小笠原・諏訪・村上・木曽の四大将は甲斐の武田晴信(信玄)を攻めようと合戦し、甲信境の瀬沢に陣取… 続きを読む 瀬沢合戦跡