信玄の狼煙台

2004年9月20日 浪合村役場で村内の史跡について教えてもらったところ村の観光パンフレットをもらいました。それによると平谷村との境の蛇峠山というところに信玄の狼煙台というものがあることを知りました。役場の方の話によれば… 続きを読む 信玄の狼煙台

首検分の処

2014年03月23日 天正10年春3月14日織田信長 光秀を従え此の地に出陣武田勝頼・信勝父子の首を検分する。(石碑に記載された文章より) 2004年9月20日 天正10年春3月14日織田信長 光秀を従え此の地に出陣武… 続きを読む 首検分の処

浪合関所跡

2014年03月23日 天文23(1554)年伊那郡を手中にした武田信玄は、弘治年間(1555~1557)南信濃の諸将の動向を監視するため関所を各地に配置した。浪合関所は、伊那から東海方面に通じる伊那街道の要害の地として… 続きを読む 浪合関所跡

将軍塚

2013年08月01日 祭神は武田信玄公である。上洛の途次、病に犯され雄図空しく帰国の道中にて逝去された。信玄公の遺骸は、我等の先祖からの伝えによりますと密かに人跡未踏の土地へ運びこの土地(現在の横川)へ葬り給い、家臣原… 続きを読む 将軍塚

赤子ヶ淵

2013年08月01日 天正10(1582)年2月、織田信長は、宿敵甲斐の武田氏を討たんとして甲信攻略の兵を進めた。徳川家康との連合した大軍を進めて伊那谷へと侵入して来た。伊那の諸将中、南端に守備する吉岡城の下条氏、松尾… 続きを読む 赤子ヶ淵

清内路関所跡

2013年08月01日 清内路関所の変遷関所設置の時期については、「伊那郡郷村鑑」に来ノ地士原氏代々居住、永正年中(1504~20)原伝左衛門ハ下条家ヘ属ス。当御関所ハ弘治年中(1555~57)甲州武田晴信当国迄手ニ握リ… 続きを読む 清内路関所跡

大平神社

2013年08月01日 頭権現天正10年の頃、山伏姿の旅人が神坂峠を越えようとして園原に近い殿島という所に来ました。この時村の熊谷弁治という人が草刈りをしているのを見て道をたずねました。弁治は、その言葉が無礼なのを怒り持… 続きを読む 大平神社

駒場城

2012年01月01日 本城は中世に構築されたと言われる、戦国時代の遺構を残す「山城」である。城域は狭いが小高い独立線峰で、西側を除く三方向を遠方まで望見できる。また、交通の要所「駒場」を眼下に見る、戦略的に重要な位置を… 続きを読む 駒場城

小野川関所跡

2011年12月31日 この関所は弘治年間(1555~58)に網掛峠から神坂峠を越えて木曽に通ずる要路を押さえるために、武田信玄が設置したものである。(長野県の武田信玄伝説より) ここにあった小野川の関所は、戦国時代に武… 続きを読む 小野川関所跡

八幡社

2008年3月16日 駒場の丸山というところまで行って、地元の人に信玄公の供養塔のことを聞いたら、ちょうど目の前の小高い丘の上にある八幡社の境内の中にあると教えてくれました。八幡社はきれいに整備している最中のようでした。… 続きを読む 八幡社

長岳寺

2014年03月23日 NHKで放映の武田信玄公と当寺の関係、信玄公の死亡された所について各地に伝えられていますが、この寺は信玄公が野田城からの帰途、この駒場の山中で亡くなられましたので、当長岳寺に秘かにかつぎこまれ、こ… 続きを読む 長岳寺