2014年12月27日 この地は、逃亡する長坂長閑が土屋惣蔵に追われ落ちた鞍が路傍の桜の木にかかっていた所と言われています。(棒杭記載文章より) 2007年01月07日 今回の目的はこの鞍掛ではなく血洗沢でした。鞍掛のと… 続きを読む 鞍懸
投稿者: mogibushi-takeda
鳥居畑古戦場
2014年12月27日 天正10(1582)年3月11日、武田勝頼の一行を追撃するために、門井沢や不動沢の駒飼口から攻め寄せる織田・徳川の先鋒隊川尻・滝川の軍勢4,000に対し、武田勢は秋山紀伊守・阿部加賀守ら100人に… 続きを読む 鳥居畑古戦場
姫ヶ淵
2014年12月27日 姫ヶ淵の由来天正10(1582)年3月11日武田勝頼公一族は、織田、徳川の連合軍の攻撃を受け激戦の末家臣と共に悲惨な最期をとげ、新羅三郎義光以来甲斐の守護として連綿と続いた甲斐源氏はその歴史を閉じ… 続きを読む 姫ヶ淵
首洗い池
2014年12月27日 この雨沢口に湧く清水の池は武田勝頼公父子の首を洗った所と言われています。(棒杭の説明文より) 2005年05月29日 景徳院の右隣に小さな憩いの場があってベンチなども整備されていますが、この周辺が… 続きを読む 首洗い池
景徳院
2014年12月27日 景徳院(田野寺)は、曹洞宗下総国総寧寺の末寺で、開基は徳川家康、開山は炊けだの臣小宮山内膳の弟で、中山広厳院第7世拈橋和尚である。また、同寺一帯は武田家滅亡の地として有名で、山梨県の史跡でもある。… 続きを読む 景徳院
土屋惣蔵片手切
2014年12月27日 土屋惣蔵昌恒(弘治2~天正10)(1556~1582)は金丸虎義の第5子、15歳の時に土屋備前の養子となり土屋姓を名乗る。長篠の役で義父と養兄の戦死に逢い、敵陣に切り込もうとしたが勝頼に制止されて… 続きを読む 土屋惣蔵片手切
大蔵原思案石
2014年12月27日 武田勝頼公は、織田・徳川両軍の進撃により、天正10(1582)年3月10日天目山方面を目指してこの地(大蔵原)まで来たところ、謀反を起した小山田信茂の軍勢は、早くも郡内の真木から小金沢を経て、この… 続きを読む 大蔵原思案石
武田勝頼公腰掛石
2014年12月27日 勝頼公一族が鶴瀬、駒飼郷に滞陣のおり、この地で周囲の動静をうかがった所と言われています。(現地の案内棒に記載された文章より) 2005年05月29日 甲府から東京方面に向って国道20号線を進み、右… 続きを読む 武田勝頼公腰掛石
四郎作古戦場
2014年12月27日 四郎作古戦場小宮山内膳友晴(友信)は武田家の重臣小宮山丹後守昌友の長男として出仕し、御使番十二人衆の一人として活躍していたが、奸言によって勝頼の勘気を蒙り幽閉の身となった。天正10(1582)年3… 続きを読む 四郎作古戦場
武田不動尊
2014年12月27日 この地は、勝頼一行が憩いし折り、武田の守り本尊として奉持していた不動尊を祀り、武運の長久を祈り里人にこれを託した所と言われています。(現地の案内棒に記載された文章より) 2005年05月29日 こ… 続きを読む 武田不動尊
栖雲寺
2014年12月27日 本堂 貞和4(1348)年、業海本浄禅師が開山した禅寺で、業海は文保2(1318)年に元の国に渡り中峯普応国師に師事し、元の天目山で修行して帰国後武田家の招聘によりこの寺を開いた。以来、武田家の信… 続きを読む 栖雲寺
愛宕山城
2014年12月21日 愛宕山城は今川氏時代の駿府の町々を北方より侵略する敵に備えるような位置にあって、その外周の有渡山と西奈郷の山々の間を通して、北方に江尻の町及び今川氏時代の主要港「江尻港」を城山の頂から望むことがで… 続きを読む 愛宕山城
賤機山城
2014年12月21日 賤機山城は、南北朝の動乱期(14世紀)に、北朝方の今川氏が、安倍川西岸の安倍城に本拠を構える南朝方の狩野氏に備えて築き、南北朝期以後は今川館の詰城としての役割を果たしていたと考えられている。永禄1… 続きを読む 賤機山城
竜雲寺
2014年12月21日 竜雲寺は守護大名今川7代の当主氏親の夫人龍雲寺殿峰林寿桂大禅定尼(寿桂尼)の菩提寺である。寿桂尼は京都の中御門権大納言宣胤の女で、永正5(1508)年今川氏親に嫁して、3男4女を生んだ。氏親は晩年… 続きを読む 竜雲寺
丸子城
2014年12月21日 丸子城は室町記の初めから、戦国動乱の終わりまで約150年間、今から400~550年前にかけての中世の山城で、京都と鎌倉を結ぶ東海道の大動脈だったこの地区を押え駿府の西の防衛拠点としての要城でした。… 続きを読む 丸子城
久能山城
2014年12月21日 久能山頂からは駿河湾一帯を一望でき、遠く伊豆西海岸をも望むことのできる景勝地である。永禄11(1568)年12月、駿河の国主今川氏真を破り、その領国を占領した甲斐の武田信玄は、いち早く久能山の地に… 続きを読む 久能山城
祐泉寺
2014年12月07日 戦国時代西暦1567年早雲寺第8世梅隠宗香禅師を開山とし、小田原北条氏初祖早雲の三男幻庵の嫡男新三郎が建立する。新三郎は蒲原城主として駿河進攻を目指す武田信玄に対する中心武将として対峙していたが、… 続きを読む 祐泉寺
川入城
2014年12月07日 常円寺 川入城は、今川氏の国人であった由比氏の本拠地と考えられる。由比氏は戦国期に最盛期を迎え、天文期には光詔、光教、永禄3(1560)年前後には正信を当主としたが、桶狭間の戦に光教・正信も討死し… 続きを読む 川入城
霊泉寺
2014年12月07日 臨済宗妙心寺派 霊泉寺旧昔清水市江尻城主武田家軍師穴山梅雪公の菩提寺で自らを墓所として霊泉寺を開き天下の高僧速伝宗販老師を招いて開山とし現在裏山に公の墓所がある。宝物は静岡県重要文化財として指定さ… 続きを読む 霊泉寺
薩埵峠
2014年12月07日 薩埵山合戦場古来ここでは二度の大合戦があった。まず観応2(1351)年室町幕府を開いた足利尊氏と鎌倉に本拠を構えた弟の直義が不仲になり、ここ薩埵峠から峯つづきの桜野にかけて山岳戦を展開し、やがて直… 続きを読む 薩埵峠
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