2021年08月07日 穴山信嘉の墓 9年ぶりに長谷寺跡の穴山信嘉の墓を探してきました。9年の間に中部横断自動車道が建設されており周辺の様子がすっかり変わっていました。南部インターチェンジ出口から国道52号線を南下して清… 続きを読む 長谷寺跡
投稿者: mogibushi-takeda
香積寺跡
2021年08月07日 穴山彦九郎の墓 香積寺跡の穴山彦九郎の墓は奇麗に整備されてすっかり様子が変わっていました。国道52号線の清水原の交差点を東に向かって行って右カーブの方には行かずに真っすぐ行くと右側にあります。 2… 続きを読む 香積寺跡
穴山信懸の墓
2021年08月07日 穴山信懸の墓 11年ぶりに訪問しました。上のGoogleストリートの部分から左奥に進んでいくと穴山信懸の墓に行くことができます。 2010年03月22日 大福山建忠寺(廃)は、穴山第四代信懸を開基… 続きを読む 穴山信懸の墓
新府城
2020年06月20日~21日 天正9年に武田氏の当主武田勝頼が新たに府中の中核として築造した新府城は、韮崎市を貫通する釜無川と塩川の2大河川の開削によって形作られた七里岩台地上にあり、その西崖を活かした要害の地に築城さ… 続きを読む 新府城
一郎山(諸士の墓祠)
2017年06月11日 天正10年3月2日、織田信忠は五万余の大軍を持って高遠城を攻めた。仁科五郎盛信は僅か2~3千の兵をもってこれを迎え討った。激しい戦闘の後に落城し盛信は自害した。盛信や武将の遺骸は勝間の若宮原で火葬… 続きを読む 一郎山(諸士の墓祠)
二郎山(諏訪はな祠)
2017年06月11日 仁科五郎盛信の家臣諏訪勝右衛門頼清の妻で、天正10年高遠城の戦いにおいて、夫勝右衛門が討ち死にした後、仇討ちせんと、敵中に切り込んだ。紺糸の腹巻きに丈なす黒髪を乱して三尺ばかりの長刀を持って、敵2… 続きを読む 二郎山(諏訪はな祠)
三郎山(渡辺金太夫祠)
2017年06月11日 渡辺金太夫は名を照といった。遠州高天神城衆として徳川家康に属していたが、家康が天正2年武田氏との抗戦に敗れてから武田勝頼の麾下に加えられた。元亀元(1570)年には姉川の合戦で、一番槍の功名を立て… 続きを読む 三郎山(渡辺金太夫祠)
四郎山(小山田備中祠)
2017年06月11日 小山田昌辰は武田信玄の侍大将であった備中守の子で父と同じく備中守と呼ばれた。初め武田信玄に仕えたが、信玄没後は勝頼に仕えた。天正10年織田信忠が高遠城を攻めた時は高遠城の副将として仁科五郎盛信にそ… 続きを読む 四郎山(小山田備中祠)
五郎山(仁科五郎盛信祠)
2017年06月11日 天正10(1582)年、織田信忠は大軍を率いて武田氏討伐の兵を進めた。武田信玄の五男仁科五郎盛信は、兄勝頼の命により、高遠城主となってこれを迎え撃った。戦いは3月2日早朝より数時間に及び熾烈を極め… 続きを読む 五郎山(仁科五郎盛信祠)
殿島城
2017年06月11日 天文の昔平氏の遺孫粟田口民部重吉の16代の後裔がこの地に来て城を築く。この城を春日城という。城主は在名を氏とし伊那部大和守重慶といい、初め300貫文を領して10騎の将であったが次第に増大す。本姓は… 続きを読む 殿島城
蓮台場
2017年06月11日 戦国時代の昔、武田信玄の侵略に対して最後まで抵抗した伊那の地侍、伊那部左衛門尉重親(春日城主、現春日城址公園)、殿島大和守重国(殿島城主、現殿島城址公園)、溝口民部少輔正慶、黒河内隼人正信、松島豊… 続きを読む 蓮台場
岐阜城
2017年06月04日 史跡の概要岐阜城跡は、金華山(稲葉山)に築かれた山城で、稲葉山城、井口城とも呼ばれていました。戦国時代に美濃国を治めた斎藤氏の居城であるとともに、織田信長が天下統一の拠点とした城としてもよく知られ… 続きを読む 岐阜城
小谷城
2017年06月04日 番所 小谷城の主要部への入口に位置する。通常、番所があった所といわれる。登城道に面して南北に細長く石垣を組み、周辺には腰曲輪が点在する。北側の石垣上に一段高い平地がある。現在、北谷から登る林道(自… 続きを読む 小谷城
安土城
2017年06月04日 安土城天主台跡 安土城天主台跡安土城の天主は、完成してからわずか3年後の天正10(1582)年6月に焼失してしまいます。その後は訪れる者もなく、永い年月の間に瓦礫と草木の下に埋もれてしまいました。… 続きを読む 安土城
高遠城
2017年04月23日 2007年04月29日 新城(盛信)神社・藤原神社 4月29日に桂泉院および高遠城址公園内の藤原神社で行われた慰霊祭および例大祭に参加させていただきました。当日は朝9時に桂泉院に集合することになっ… 続きを読む 高遠城
春日城
2017年04月23日 春日城の沿革天文の昔平氏の遺孫粟田口民部重吉の16代の後裔がこの地に来て城を築く。この城を春日城という。城主は在名を氏とし伊那部大和守重慶といい、初め300貫文を領して10騎の将であったが次第に増… 続きを読む 春日城
わに塚
2017年04月08日 わに塚の桜 わに塚甲斐国志に「芝地十五間に十間、塚の形神前にかかる鰐口に似たり。後の人因りて名付けたるか。古墳なることを知りぬべし」とあり、土地の口碑によれば日本武尊の王子武田王が、諏訪神社の南西… 続きを読む わに塚
実相寺
2017年04月08日 山高神代桜 信玄公祭りに行く前に朝一番で立ち寄りました。 2013年10月13日 寺記によると、日蓮を身延山に招いた波木井六郎実長の4代あとの伊豆守実氏が、身延山第5世鏡円阿闍梨日台上人の弟子とな… 続きを読む 実相寺
恵林寺
2017年04月08日 武田信玄の墓 不動明王 信玄公祭りに行く前に朝一番で立ち寄りました。この日は不動明王の近くまで立ち入ることができました。初めてのことです。 2013年09月21日 乾徳山恵林禅寺の沿革当山は臨済宗… 続きを読む 恵林寺
三光寺
2016年12月18日 武田晴信が開基したので、現在でも花菱の紋を用いている。(長野県町村誌より) 応永2(1395)年に開基された。武田信玄の祖信重が僧となり、父信満のために城山の東麓の字満願寺に真如山満願寺を建て、真… 続きを読む 三光寺
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