飯綱城

2025年11月29日 飯綱城は上田盆地の北の壁ににあたる太郎山の南山麓に張り出した飯綱山の頂部に築かれ、その形状から甲城とも呼称される。「宝永郡絵図」に「赤羽兵部城」と記載されるが詳らかではない。本郭には60~70cm… 続きを読む 飯綱城

笹洞城

2025年11月29日 室賀氏は清和源氏信濃守源為公の次男為扶の三代後、盛快が名乗ったことから始まる。和田義盛の乱で、室賀二郎盛快は北条泰時に組みして戦ったが討死した。永享12(1440)年、足利持氏の遺子を結城氏朝が助… 続きを読む 笹洞城

砥石城

2025年11月29日 戸石、枡形、本城より成る規模雄大な山城である。天文年間(1532-54)、村上義清命を下して楽石寺雅方、布下仁兵衛らに築かせたという。天文19(1550)年8月19日、武田信玄は長窪へ到着した。2… 続きを読む 砥石城

長谷寺跡

2021年08月07日 穴山信嘉の墓 9年ぶりに長谷寺跡の穴山信嘉の墓を探してきました。9年の間に中部横断自動車道が建設されており周辺の様子がすっかり変わっていました。南部インターチェンジ出口から国道52号線を南下して清… 続きを読む 長谷寺跡

香積寺跡

2021年08月07日 穴山彦九郎の墓 香積寺跡の穴山彦九郎の墓は奇麗に整備されてすっかり様子が変わっていました。国道52号線の清水原の交差点を東に向かって行って右カーブの方には行かずに真っすぐ行くと右側にあります。 2… 続きを読む 香積寺跡

穴山信懸の墓

2021年08月07日 穴山信懸の墓 11年ぶりに訪問しました。上のGoogleストリートの部分から左奥に進んでいくと穴山信懸の墓に行くことができます。 2010年03月22日 大福山建忠寺(廃)は、穴山第四代信懸を開基… 続きを読む 穴山信懸の墓

新府城

2020年06月20日~21日 天正9年に武田氏の当主武田勝頼が新たに府中の中核として築造した新府城は、韮崎市を貫通する釜無川と塩川の2大河川の開削によって形作られた七里岩台地上にあり、その西崖を活かした要害の地に築城さ… 続きを読む 新府城

一郎山(諸士の墓祠)

2017年06月11日 天正10年3月2日、織田信忠は五万余の大軍を持って高遠城を攻めた。仁科五郎盛信は僅か2~3千の兵をもってこれを迎え討った。激しい戦闘の後に落城し盛信は自害した。盛信や武将の遺骸は勝間の若宮原で火葬… 続きを読む 一郎山(諸士の墓祠)

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殿島城

2017年06月11日 天文の昔平氏の遺孫粟田口民部重吉の16代の後裔がこの地に来て城を築く。この城を春日城という。城主は在名を氏とし伊那部大和守重慶といい、初め300貫文を領して10騎の将であったが次第に増大す。本姓は… 続きを読む 殿島城

蓮台場

2017年06月11日 戦国時代の昔、武田信玄の侵略に対して最後まで抵抗した伊那の地侍、伊那部左衛門尉重親(春日城主、現春日城址公園)、殿島大和守重国(殿島城主、現殿島城址公園)、溝口民部少輔正慶、黒河内隼人正信、松島豊… 続きを読む 蓮台場

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岐阜城

2017年06月04日 史跡の概要岐阜城跡は、金華山(稲葉山)に築かれた山城で、稲葉山城、井口城とも呼ばれていました。戦国時代に美濃国を治めた斎藤氏の居城であるとともに、織田信長が天下統一の拠点とした城としてもよく知られ… 続きを読む 岐阜城

小谷城

2017年06月04日 番所 小谷城の主要部への入口に位置する。通常、番所があった所といわれる。登城道に面して南北に細長く石垣を組み、周辺には腰曲輪が点在する。北側の石垣上に一段高い平地がある。現在、北谷から登る林道(自… 続きを読む 小谷城

春日城

2017年04月23日 春日城の沿革天文の昔平氏の遺孫粟田口民部重吉の16代の後裔がこの地に来て城を築く。この城を春日城という。城主は在名を氏とし伊那部大和守重慶といい、初め300貫文を領して10騎の将であったが次第に増… 続きを読む 春日城

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わに塚

2017年04月08日 わに塚の桜 わに塚甲斐国志に「芝地十五間に十間、塚の形神前にかかる鰐口に似たり。後の人因りて名付けたるか。古墳なることを知りぬべし」とあり、土地の口碑によれば日本武尊の王子武田王が、諏訪神社の南西… 続きを読む わに塚

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