武田勝頼観戦地(才の神)

2014年08月16日

連吾川沿いの馬防柵の構築など、次々と織田・徳川軍の動向を伝える知らせの中で、勝頼は19日設楽原進出を決定した。
そして翌20日には、寒狭川を渡り有海原から信玄台地一帯に陣を敷いた。このあたりは雁峰山系から幾条もの丘陵が南に張り出した形で、入り組んだ小さな谷と山は、陣を敷く格好な場所であった。
はじめ、武田軍は清井田坂に本陣を置いたが、やがて連吾川を見下ろす柳田の赤ハゲに進んだ。現在の東郷東小学校西の丘陵頂上付近である。
ここからは、正面に家康の本陣弾正山、柳田前激戦地、北に丸山とやがて戦場となるであろう連吾川の流れが手に取るように見えた。
裏手には下々部落の四反田川から清井田、有海原が見下ろせ、その向うにははるか信州の山並みが見える。信玄台地のもっともくびれたところである。
昭和10年代くらいまでは文字通りザバ土赤ハゲとなっており、子供達の遊び場として賑やかであった。
今は植え込みの杉桧がすっかり成長して、連吾川方面の見通しは良くないが、梢をわたる風の音は往時のままである。
(かるたでつづる設楽原古戦場より)


「赤禿に勝頼本陣進めたり」
(設楽原古戦場いろはかるた看板資料より)


2006年05月06日

ここには前回も来たことがあったのですが道に迷ってしまいました。前回車を止めた所は覚えていたので同じ所に車を止めてそのまま奥に進んでいったのが失敗でした。
付近のお墓にお墓参りに来ていた方に聞いてこちらではないことを教えてもらい、正しい入口まで案内してもらいました。
入口まで来てやっと思い出しました。入口にはちゃんと看板がありますのでここを訪れる方は是非この看板を探してください。
この看板に従って畑の方に歩いて行くと、道が3つに分かれますがこれは右に行きます。その後森の中に入っていきますが、いろはがるたの看板がある所で分かれている道は左の方に行けばたどり着くことができます。
今回は写真の祠があるところまで登ってみました。一段高くなっていて小高い本丸のような感じになっていました。多分この前方は最前線に近い場所だと思います。
このような場所に本陣を構えること自体物凄く勇気がありますね。私が総大将だったら恐くていられなかったでしょう。


2003年10月12日


「赤禿に勝頼本陣進めたり」
(設楽原古戦場いろはかるた看板資料より)

長篠城を包囲していた武田軍は全軍を設楽原に移動させます。総大将である武田勝頼ははじめは、清井田の武田勝頼戦地本陣地に陣を張りますが、その後この才の神に移動させてここで全軍を指揮したと思われます。
三千挺の鉄砲の大音響、相次ぐ武将の討死していく連絡をここで聞きいていたのでしょうか。

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