羽布城

2014年03月23日 羽布城絵図 羽布城は、巴川の右岸に沿って、東西方向にのびる山並みの先端部に築かれた中世の山城です。南・北・西の三面は急斜面で、その麓を囲むように巴川が流れ、天然の要害をなしています。遺構は面積約5… 続きを読む 羽布城

田代城

2014年03月23日 田代城絵図 田代城は、通称「京ヶ峰」と呼ぶ山の西麓にあって、近くの大沼城とともに足助七城のひとつに数えられていました。遺構は、本曲輪、曲輪、堀切などが山の斜面に沿って階段状に分布していますが、古い… 続きを読む 田代城

大沼城

2014年03月23日 大沼城絵図 大沼城は、文明年間(戦国時代初期)に木村東見入道安信が築いたとされる山城で、足助の真弓山城(足助城)や、近くの田代城などとともに足助七城のひとつに数えられていました。遺構は、本曲輪と1… 続きを読む 大沼城

武節城

2014年03月23日 武節城永正年間に田峯城主菅沼定信によって築かれ、天正18(1590)年最後の城主奥平信昌が家康に従って関東に転封になり廃城となった。その間約100年にわたって存在した城である。信州と美濃の国境にあ… 続きを読む 武節城

福田寺

2014年03月23日 武田信玄と福田寺武田信玄と当寺との関係については、卒去の地、埋葬の地を含めて、その真偽のほどは判然としないが、当寺に伝えられているところによると次のとおりである。「当寺は、かねてより信玄公の外護を… 続きを読む 福田寺

田峯城

2014年03月23日 田峯城は県下有数の高山である段戸連峰を間近に控え、寒狭川の渓流をはるかに見下ろす標高387mの独立丘陵にある山城です。本丸から見下ろした寒狭川の蛇行と城をいただく山並みが、まさに大蛇のようであるこ… 続きを読む 田峯城

石筒ヶ根古戦場

2014年03月29日 作手亀山城主奥平貞能は、お家存続のために武田方・徳川方の両方に揺れ動いていた。天正元(1573)年8月20日夜、徳川方に味方することにした一族は、武田勢力の強い作手を脱出し、戦いに有利な宮崎滝山城… 続きを読む 石筒ヶ根古戦場

田原坂旧道

2014年03月29日 額田町史によると、1573(天正元)年に奥平軍は滝山合戦で敗れた武田軍を田原坂まで追って戦った。武田方は奥平定包を殿軍としたがこの戦いで戦死したとのこと。奥平定包は奥平貞勝の伯父にあたる人である。… 続きを読む 田原坂旧道

久保城

2014年03月29日 久保城由来ここは久保城、または稲荷屋敷と呼ばれる城址(史跡)である。作手亀山城主奥平貞昌が戦国時代に築いた城で、男川と稲荷沢に挟まれた尾根の端に位置している。標高は176m、高低差は30mあり、三… 続きを読む 久保城

滝山城(亀穴城)

2014年03月29日 滝山城は16世紀半ばに奥平貞能が築いてここに居住したという。一名「亀穴城」ともいう。 天正元(1573)年8月21日、作手の亀山城にいた奥平貞能、信昌父子は武田方にそむいて亀山城を退いて、滝山城に… 続きを読む 滝山城(亀穴城)

広祥院

2014年03月29日 住昔往古は真言密乗の宗旨で深恩院総持寺と称し、創建は吉野朝時代建武年中(約640年前)足利源尊氏公征夷大将軍となり、執権高師重に台命し当地に八幡の社と合併せし堂宇伽藍を建立し、大日如来を本尊として… 続きを読む 広祥院

日近城

2014年03月29日 本丸 日近城の歴史日近城は標高約270メートル、比高70メートルの尾根の先端に築かれ、守りを意識した山城で、砦、詰城として利用した。広祥院由緒書によれば、奥平三代目貞昌が文明10(1478)年日近… 続きを読む 日近城

華蔵院

2014年03月29日 戦国時代奥平氏は、今川、織田、武田、徳川の覇者に囲まれた中で、三河作手に拠点を置き勢力の拡大を図ってきた。元亀元(1570)年武田方であった時、本家奥平貞能は次男仙丸(10歳)と日近の奥平貞直の娘… 続きを読む 華蔵院

遊仙寺

2014年03月29日 仙丸の墓 戦国時代奥平氏は、今川、織田、武田、徳川の覇者に囲まれた中で、三河作手に拠点を置き勢力の拡大を図ってきた。元亀元(1570)年武田方であった時、本家奥平貞能は次男仙丸(10歳)と日近の奥… 続きを読む 遊仙寺

岡崎城

2006年05月05日 岡崎城天守閣 岡崎公園散策マップ 15世紀中頃(室町時代)、西郷弾正左衛門頼嗣(稠頼)が現在の岡崎城の位置にはじめて城を築き、のちに家康の祖父である松平清康が入城し本格的な岡崎城を構えた。1542… 続きを読む 岡崎城