中山金山

2005年07月03日 中山金山登山口(広河原) 毛無山の山腹には甲斐の武将武田信玄公の採掘した金坑の遺跡がある。これを湯の奥金山という。湯の奥金山には中山、茅小屋、内山の三ヶ所の金坑があり、その中で最も大掛かりに採掘さ… 続きを読む 中山金山

大聖寺

2013年12月22日 建物について当寺の堂塔伽藍は甲斐源氏一統の帰依により巨大かつ荘厳美を極めていたと伝えられているが、時代が下ってからでは慶長3(1598)年と安永5(1776)年に火災で焼失している。現在の建物は安… 続きを読む 大聖寺

南松院

2013年12月22日 正福山南松院正面庭園は夢窓国師作庭と伝えられている。二段式廻廊庭園である、池中の亀石は南松院夫人(武田信玄姉)が穴山信友に嫁ぐ際、父信虎に請い持参したと伝えられる武田家伝来の霊亀石である。新庭園・… 続きを読む 南松院

法寿寺

2010年03月22日 竹重の法寿寺は山号を妙延山といい、今は日蓮宗であるがもと真言宗で明王寺の別院であったといわれる。その境内に寺の鎮守として八幡堂が祀られているが、これは大井源三郎信豊が霊夢のお告げによって祀ったもの… 続きを読む 法寿寺

源太ヶ城

2015年11月21日 海岸寺の北西にそびえる双峰の山を源太山と呼ぶ。この山の北側は急傾斜であるが、尾根が東に延びて東の山に続く。また南斜面は比較的緩やかである。この尾根は海岸寺の北でくびれ、ここを海岸寺峠と呼ぶ。現在大… 続きを読む 源太ヶ城

風林火山館

2008年04月05日 主殿内部 以下はボランティアの説明を参考としています。風林火山館は2007年のNHK大河ドラマ「風林火山」のロケ現場となったところです。私は今回ここに来てボランティアの説明を聞くまで、中井貴一が武… 続きを読む 風林火山館

鐙堂観世音

2015年06月28日 鐙堂観世音由緒本尊十一面観世音菩薩は弘法大師の御霊作にして今より九百余年前武田氏始祖新羅三郎義光公は京師にありしが兄義家公奥羽征伐の軍利あらざるを聞き、官を棄てて赴援す。此の行に念持仏として常に崇… 続きを読む 鐙堂観世音

古宮城

2008年01月03日 此の地は甲斐国志が記す古宮の城迹である。戦国時代の頃、武田家に仕えて甲信の国境警護に任じた武士団津金衆の旗頭津金氏歴代の居城で城迹の規模は縦118間(212m)横65間(117m)二重の湟を回らし… 続きを読む 古宮城

万休院

2013年10月13日 この寺の開基は武田の重臣の馬場美濃守信春の子の馬場民部少輔で、元亀2(1571)年にできたという。民部は父が長篠合戦で戦死した後に馬場家を継ぎ、信州深志(松本)の城主をつとめた人である。(山梨県の… 続きを読む 万休院

曲淵氏屋敷跡

2013年10月13日 甲斐国志に「曲淵氏ノ古跡片颪ニアリ、竪百間、横六十間許リ、東ヲ端門トス。西南ハ釜無川ノ険ニ臨ミ北ニ小深沢ト云フ河アリ、コレ会スル所彎曲シテ深潭トナル、曲淵ノ名此ニ出ズト云フ」とある。清泰寺の南、小… 続きを読む 曲淵氏屋敷跡

清泰寺

2013年10月13日 当山は、霊長山清泰寺と称し曹洞宗に属し山梨県北巨摩郡白州町花水に位置している。平安時代末、大治2(1127)年甲斐源氏の始祖新羅三郎義光の子、逸見冠者刑部三郎義清が開基となってこの地に天台宗の寺院… 続きを読む 清泰寺

中山砦

2008年01月03日 今朝の最初の目的地は曲渕氏屋敷跡でしたが、現地に到着した時、まだ日が出ていなかったので先に中山砦に行くことにしました。中山砦は中山の山頂にあるらしく、そこに行くには中山峠に行ってそこから歩くとのこ… 続きを読む 中山砦

浄林寺

2013年10月13日 開山徳舜和尚、永正二丑年十二月廿二日遷化開基武田信縄候之御娘春姫仏道御帰依ニ而徒士二人小人六人附属ニ而八幡前ニ庵補裡定念仏御修行被為遊弘治元年乙卯年四月朔日卒去慶応四戊辰年迄三百拾四年ニ相当申候法… 続きを読む 浄林寺

実相寺

2017年04月08日 山高神代桜 信玄公祭りに行く前に朝一番で立ち寄りました。 2013年10月13日 寺記によると、日蓮を身延山に招いた波木井六郎実長の4代あとの伊豆守実氏が、身延山第5世鏡円阿闍梨日台上人の弟子とな… 続きを読む 実相寺

自元寺

2013年10月13日 自元寺総門 総門は「武田四臣」武田二十四将馬場美濃守信房公(信春)の屋敷(通称梨子の木屋敷)現白州町白須1008-1番地付近から移したものである。四脚門流造り屋根は鉄板葺きであるが元は茅葺きであっ… 続きを読む 自元寺

教来石民部館跡

2013年10月13日 教来石民部館跡の由来(馬場美濃守信春)この地鳥原には、昭和63年の発掘調査により、教来石民部館があったことが判っています。館主である教来石氏は、武田家支流の一条氏から派生した在地の武士団、いわゆる… 続きを読む 教来石民部館跡

笹尾塁跡

2013年10月13日 笹尾塁跡は、釜無川左岸七里岩の急崖上にあり、釜無川に注ぐ深い侵食谷のため自然の要害に恵まれたところである。本塁跡は、東西80m、南北260mほどの規模とみられ、周囲には、地名、小字名に、「馬場」、… 続きを読む 笹尾塁跡

龍岸寺

2013年10月13日 本堂・庫裡落慶記念碑徳雲山龍岸寺は応永7年武田信成の裔栗原武続入道常俊公が徳雲山竜岸寺を建立。曽て帰依の真言宗海秀法印を請じ開山となす大鏡法印代に殿堂焼失し右真言宗にて星霜を経ること12代更に永正… 続きを読む 龍岸寺

養福寺

2013年10月13日 馬五輪(武田信虎の愛馬:韋駄天栗毛の墓) 2007年01月07日 馬五輪(武田信虎の愛馬:韋駄天栗毛の墓) 須玉インターから国道141号線で清里に向って走っていって箕輪というところあたりに養福寺と… 続きを読む 養福寺