2016年04月30日 本郭(主郭) 長沼城は千曲川左岸の自然堤防上に発達した集落、長沼にある平城である。文献上では至徳4(1387)年に島津太郎国忠が「長沼太郎」として記されているのが長沼の初見である。以降の室町時代に… 続きを読む 長沼城
月: 2016年4月
大倉城
2016年04月30日 本郭(主郭) 当城についての文献は、弘治3(1557)年に葛山城が武田方によって落城させられた際、「島津方も大蔵之地へ先づもつて相移られ候」とあるのをもって初見とするが、この文言から大倉城が島津貞… 続きを読む 大倉城
割ヶ嶽城
2016年04月30日 村上義清の家臣本荘越前守が居城し、上杉方の援軍も入城していたが、永禄4(1561)年、上杉謙信上洛の隙をうかがい、大手より多田淡路守、搦手より浦野民部が一番乗りし、武田方では原美濃守が傷を負ったが… 続きを読む 割ヶ嶽城
矢筒城
2016年04月30日 矢筒城としては文献・史料に記されていないが、永正10(1513)年長尾為景の福王寺彦八郎宛ての書状の中に「嶋津貞忠との同心あるべからざること、何より其の要害の用心油断あるべからざること」とある。こ… 続きを読む 矢筒城
英岩寺
2016年04月30日 本堂 永仁年間天台宗の修験場として創立されたと伝えられている。当時は江岸寺という。後、戦国期に衰微したが、文禄4年高源7世通庵寿貫和尚によって栄巌寺として中興され、安永年中「英岩寺」と改名し現在に… 続きを読む 英岩寺
小菅神社
2016年04月30日 仁王門 里宮入口の鳥居 小菅神社は飯山市大字瑞穂小菅に鎮座され、小菅山の山頂近く岩壁に南面して、奥社、麓の里には里宮を配します。小菅神社は古来より戸隠山、飯綱山とともに奥信濃三山と称せられ、一山を… 続きを読む 小菅神社
替佐城
2016年04月30日 本丸 替佐城址案内地図 替佐集落は飯山の南方、約2里半の位置にあり、室町時代には若槻新庄加佐郷として「市河文書」に記されている。替佐城が戦略上、重要視されたのは戦国時代末期の甲越合戦時代で、永禄年… 続きを読む 替佐城
壁田城
2016年04月30日 壁田城址公園健康つくりコース案内図 中野市の北部には千曲川を背後にして長丘丘陵が連なっているが、壁田城はその中でもひときわ高く、飯山から中野・替佐方面を一望することができる山頂にある。戦国時代末期… 続きを読む 壁田城
高梨氏城館跡
2016年04月30日 甲越争乱はこの地方にも波及し、高梨氏の身辺にもその影響が及んできた。すなわち武田晴信(信玄)は佐久方面から信濃に深く侵入し、村上・小笠原氏らの信濃の雄族もすでに長尾景虎(謙信)を頼って越後に逃れて… 続きを読む 高梨氏城館跡
須田城
2016年04月30日 百々川の形成する須坂扇状地の扇頂部分に独立峰の臥龍山があるが、須田城はその南西尾根にある城山に構築されている。また城の南直下を百々川流れ千曲川に注いでいる。その千曲川の自然堤防上には福島城があり、… 続きを読む 須田城
飯山城
2016年04月29日 城山公園案内図 飯山城見取図 戦国時代末期、上杉謙信(輝虎)と武田信玄(晴信)の戦いは奥信濃をもその戦乱の渦中に巻き込んだ。弘治年間(1555-58)の前後にはかつて中野の地に勢力を誇った高梨政頼… 続きを読む 飯山城
川中島古戦場
2016年04月29日 八幡社本殿 八幡社御由緒祭神の誉田別尊は第15代応神天皇の諱で神功皇后を母とし在位41年に亘り大陸の文化を積極的に取り入られ、古代日本の文化の向上、国家の発展に尽くされた御功績が仰がれ皇室の崇敬す… 続きを読む 川中島古戦場
善光寺
2016年04月29日 善光寺本堂(国宝)現在の善光寺本堂は、宝永4(1707)年幕府御抱えの名匠甲良宗賀の設計により再建された、江戸時代中期の仏教建築を代表する傑作です。高さ約25.82m、奥行き約53.67m、総面積… 続きを読む 善光寺
最近のコメント