2015年06月28日 この鐘は、弘安2(1279)年信州佐久郡大井荘(庄)落合の新善光寺に大井荘(庄)地頭源朝臣大井光長が寄進したもので、大和国下田村鋳物師伴長の作で、長野県最古の在銘梵鐘である。池の間の飛天の陽刻は鎌… 続きを読む 松原諏訪神社
月: 2015年6月
海尻城
2015年06月28日 所在地 南牧村大字海尻下殿岡城の種類 山城城の構造山の尾根の末端で大月川の深い谷を選んで構築。本丸、二の丸、三の丸があり、西側の背面は大掘切で守られている。城の南側は日向前、北側を日陰窪と呼んでい… 続きを読む 海尻城
平賀源心胴塚
2015年06月28日 歴史及び伝説海ノ口城主平賀源心成頼は天文5年12月28日に武田信玄の奇襲にあい戦死した。不落を誇り武田氏をなやました海ノ口城は信玄16才の初陣の手柄により遂に落城し源心の遺骸がこの場所に埋められて… 続きを読む 平賀源心胴塚
さかさ柏
2015年06月28日 天然記念物「さかさ柏」往古、甲越戦に際し甲斐の将、武田信玄はここに馬を駐め、敵状を偵察しながら手にした柏の杖を逆さに挿した。(史実・海の口の合戦)後に、この杖から芽を吹き今日に至ったものといわれ、… 続きを読む さかさ柏
海ノ口城
2015年06月28日 城の構造本丸背後の堀切が極めて深く又大きいことは他に比べても少ない。水の手は南方約280メートル下った谷間にある。本丸は約230平方メートル(約70坪)あり、二の曲輪、三の曲輪の跡もあるが今は荒れ… 続きを読む 海ノ口城
鐙堂観世音
2015年06月28日 鐙堂観世音由緒本尊十一面観世音菩薩は弘法大師の御霊作にして今より九百余年前武田氏始祖新羅三郎義光公は京師にありしが兄義家公奥羽征伐の軍利あらざるを聞き、官を棄てて赴援す。此の行に念持仏として常に崇… 続きを読む 鐙堂観世音
茶臼山
2015年06月13日 戦国時代、ここ信濃(長野県)の川中島の地をめぐり、甲斐(山梨県)の武田信玄と越後(新潟県)の上杉謙信が幾度か激突した。その中で最も激しい戦いとなったのが、永禄4(1561)年の「川中島の戦い」であ… 続きを読む 茶臼山
牧之島城
2015年06月13日 本丸跡 牧之島城案内図 御前水井 本丸跡 城は、南、西、北の三方を犀川がめぐり、東部一方が山部に続く舌状台地のほほ中央にあり、自然の断崖絶壁と深沢を利用し、これに人工の堀を加えた平城である。現存す… 続きを読む 牧之島城
寺尾城
2015年06月13日 寺尾城は松代町東寺尾にある。地の利を生かし、天険の地に築かれた寺尾氏の要害で、平野部に半島状に突き出た城山の最高所にあって、のちには海津城の東方の外郭として重要な位置を占めるようになった。寺尾氏は… 続きを読む 寺尾城
尼厳城
2015年06月13日 伝承によれば、尼厳城(別名東条城)は、鎌倉時代以前から築城されていた難攻不落の山城である。周りの霞城、金井山城、寺尾城はその支城と伝えられている。弘治2(1556)年、武田信玄は真田幸隆に尼厳城の… 続きを読む 尼厳城
耕心庵
2015年06月13日 耕心庵縁起(甲信庵)川中島の合戦(4回目)が終りこの地方は武田方に属す。信玄公巡国の時、この地に立ち寄り、川中島合戦場を見下ろして、この處はまさに景勝地であると感嘆し、ここに禅寺を建立し、法性山甲… 続きを読む 耕心庵
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