成就院

2014年11月23日 成就院の由緒について慶安2(1649)年の「上野国碓井郡小日向村成就院由緒之事」には、開基の慶秀が七ヶ寺建立の大願を立て、六ヶ寺建立後の弘和元(1381)年に当寺を建立し、七ヶ寺の大願成就から成就… 続きを読む 成就院

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カテゴリー: 安中市

崇徳寺

2014年11月23日 暦応3(1340)年に円覚寺30世・建長寺40世の大喜法忻(仏満禅師)を開山、足利尊氏を開基と伝えている。大喜は今川基国の子で、弟子には五山文学を代表する義堂周信・絶海中津・中岩円月などがいる。示… 続きを読む 崇徳寺

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カテゴリー: 安中市

不動寺

2014年11月23日 開山の慈猛上人により寛文元(1243)年に開創されたと伝えられる。江戸時代には朱印89石6斗余りを拝領し、脇寺9ヶ寺・末寺8ヶ寺を有していた。山号を龍本山、院号を松井田院と号しているのは、ある夜、… 続きを読む 不動寺

補陀寺

2014年11月23日 美濃国の大泉山補陀寺の住職無極慧徹は師の最乗寺(神奈川県南足柄市)住職了庵慧明に会うため、寺を弟子の月江正文に譲り、最乗寺を目指す途中、松井田で熱心な信者に出会い、ここに止まり草庵を開くことになっ… 続きを読む 補陀寺

板鼻城

2014年11月23日 鷹の巣出丸 碓氷川と九十九川の合流点より約1km下流の北岸台地上に位置し、板鼻には東山道や鎌倉街道が通り、交通の要所として、戦略的にも重要な拠点であった。築城については確実な史料が乏しく、箕輪城主… 続きを読む 板鼻城

後閑城

2014年11月23日 九十九川と後閑川との合流地点の北岸舌状台地の丘陵先端部に立地する。現況は城址公園であるが、一部山林となっている。本丸(主郭)は標高は約276メートル、比高差約80メートルである。(安中市史より) … 続きを読む 後閑城

光城

2014年11月16日 光城址と古峯神社のゆかりこの山頂にお城が築かれたのは遠く500年余りの昔、戦国時代もまだまだ始めの頃、海野六郎幸元という武将がここに城を築いて自ら光之六郎幸元と名乗ったといわれている。この海野氏の… 続きを読む 光城

広田寺

2014年11月16日 会田塚と虚空蔵山城 会田氏滅亡の際、一党の具足や刀剣が遺骸の代わりに埋められたと言われている。会田氏は天正10(1582)年10月、小笠原勢によって滅ぼされたが、その際焼き払われた菩提寺知見寺の住… 続きを読む 広田寺

虚空蔵山城

2014年11月16日 本丸 武田信玄が活躍していた頃、この虚空蔵山城の城主であった会田氏は、佐久郡望月の牧を中心に根を張って栄えた滋野氏の一派である海野氏の一族である。海野幸氏は小太郎といい、源頼朝に気に入られ海野の庄… 続きを読む 虚空蔵山城

洞光寺

2014年11月16日 本堂 太田弥助兄弟(中沢氏)の五輪石塔 2005年12月04日 薬師堂 旧四賀村役場(現在の松本市役所四賀支所)で四賀村誌を見せていただいたときに、洞光寺というところに苅谷原城の城主であった太田資… 続きを読む 洞光寺

苅谷原城

2014年11月16日 本丸 高白斎記によれば、武田信玄は天文22(1553)年3月29日に軍事拠点である深志城を出発し、午後には苅谷原城に着陣し、翌30日には城の周辺を放火し、4月1日の攻撃を経て2日午後には苅谷原城を… 続きを読む 苅谷原城

平瀬城

2014年11月16日 平瀬城について古代以降この地を領有し統轄してきた平瀬氏は鎌倉幕府滅亡後に信府へ入る。信濃守護小笠原氏の信任あつく南北朝争乱時や、平時の生活においても表裏一体の関係で運命を供にしてくる。平瀬は小笠原… 続きを読む 平瀬城

法善寺

2014年11月16日 法善寺由緒法善寺は、元法相宗岩龍山西谷寺と称し、奈良興福寺の末寺と推定され、興福寺の前身山階寺の寺封「信濃二百戸」と新抄格勅符抄に載っている中の一ヶ所がこの西谷寺を中心とした地域であろうと見られて… 続きを読む 法善寺

麻績城

2014年11月16日 麻績城跡からめて入口 戦国時代に麻績の地を支配したのは服部氏で、古屋敷に居館を構えた。天文22(1553)年3月末、甲斐の武田晴信(信玄)が四賀村の苅谷原城、会田の虚空蔵山城を破って筑摩北部地方に… 続きを読む 麻績城

切通し

2014年11月16日 善光寺街道随一の名所。天正8(1580)年に青柳伊勢守頼長により切り開かれた。元禄11(1698)年には「長さ13間5尺、横8尺5寸、高さ1丈」と記され、その後享保元(1716)年、明和6(176… 続きを読む 切通し

清長寺

2014年11月16日 天正元(1573)年青柳城主青柳伊勢守頼長が開基。最初、やや北方の里坊の地に、父清長の菩提を弔うために創立した。後に小笠原氏が青柳氏を滅亡させたあと、居館跡の現在地に移して整備したといわれている。… 続きを読む 清長寺

青柳城

2014年11月16日 青柳城跡及び館跡清長寺の館跡・その下の寺小路の両側の侍屋敷・青柳城山の山城を合わせた中世の城跡である。初めは、坂北村全部と本城村の大部分を本領にしていた青柳氏の城であった。小笠原氏滅亡後、武田信玄… 続きを読む 青柳城

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カテゴリー: 筑北村

葛尾城

2014年11月15日 主郭 この城跡は、村上氏が坂城郷に居館を構えたと推定される南北朝時代の末頃から天文22年4月村上義清が没落するまで、村上氏歴代の本城であった。けわしい地形を利用して、最高所に本郭をおき、つづいてニ… 続きを読む 葛尾城

荒砥城

2014年11月08日 甲斐・武田信玄と越後・上杉謙信両雄の戦い「川中島合戦」は今から400有余年前の戦国時代、信州信濃・川中島の地で繰り広げられた約10年にわたる戦いで、永禄4年の第4次川中島合戦の総大将同士の直接決戦… 続きを読む 荒砥城

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カテゴリー: 千曲市

姫宮跡の碑

2014年11月08日 天文22(1553)年に葛尾城が自落した際、逃れた奥方がこの地で自害したと伝わります。寛延3(1750)年に建立された石祠が明治30年頃に自在神社奥社に移転されたため、大正13年に建碑されました。… 続きを読む 姫宮跡の碑