2014年12月28日 元亀2(1571)年武田信玄は、徳川家康の将、松平左近真乗の守っていた山崎の砦を攻め落とし、砦を修築して小山城と命名し、大熊備前守父子を城代とした。ここは城代の屋敷跡である。小山城より約6町(約6… 続きを読む 大熊備前守屋敷跡
月: 2014年12月
小山城
2014年12月28日 ここは永禄11(1568)年末、武田氏によって山崎の砦が築かれたところで、武田・徳川の駿遠分割協定に基づき、家康は家臣松平真乗に大井川下流を支配下に納めようとして砦を攻撃させた。元亀2(1571)… 続きを読む 小山城
朝比奈城
2014年12月28日 朝比奈城址は、岡部町役場から北西へ朝比奈川に沿って約5㎞北上した朝比奈郷の中心殿(との)部落背後の山頂にある。朝比奈郷は駿河北部山間地を東西に走る間道の中継地として早くから開けた所で、すでに弘安7… 続きを読む 朝比奈城
花倉城
2014年12月28日 本丸 花倉城は今川氏3代目範国が足利将軍尊氏の命を受けて駿遠へ進出し、その子範氏が文和2年(1353)花倉に居館を構え背後の山上に詰城を築いたものと伝えられています。その後、氏家、泰範、範政と3代… 続きを読む 花倉城
花沢城
2014年12月28日 花沢城は、日本坂、小坂間の街道をおさえる駿府の西の守りとして、今川方によって築かれた戦国時代の山城です。築城の時期は明らかではありませんが、甲斐の武田信玄による駿河侵攻にともない激戦地となったこと… 続きを読む 花沢城
大雲寺
2014年12月28日 本堂 今川家は代々駿河国の守護大名として駿府に在り、周辺警備の出城として関口刑部親長に持舟城を守らせていた。この関口の娘瀬名姫(後の築山殿)と徳川家康は弘治元年3月結婚、この政略結婚が後年の生涯に… 続きを読む 大雲寺
持舟城
2014年12月28日 持舟城は、昔から村民たちに「城山さん」と呼ばれています。今でも「用宗城山町」の町名に使われ、昭和59(1984)年に開校した「静岡市立城山中学校」の校名はこの「城山さん」から命名されました。持舟城… 続きを読む 持舟城
武田勝頼公之像
2014年12月27日 武田勝頼公之像の由来天正10年3月武田勝頼公ひきいる武田軍は織田・徳川連合軍との戦いで天目山栖雲寺を目指したが田野の地においてあえなく武田家の終えんを迎えた。甲斐国主である武田勝頼公の遺徳を偲び末… 続きを読む 武田勝頼公之像
血洗沢
2014年12月27日 この地は土屋惣蔵が、逃亡した跡部大炊介を追尾して斬り、この沢で血を洗い流したと言われています。(棒杭記載文章より) 2007年01月07日 この地は土屋惣蔵が、逃亡した跡部大炊介を追尾して斬り、こ… 続きを読む 血洗沢
鞍懸
2014年12月27日 この地は、逃亡する長坂長閑が土屋惣蔵に追われ落ちた鞍が路傍の桜の木にかかっていた所と言われています。(棒杭記載文章より) 2007年01月07日 今回の目的はこの鞍掛ではなく血洗沢でした。鞍掛のと… 続きを読む 鞍懸
鳥居畑古戦場
2014年12月27日 天正10(1582)年3月11日、武田勝頼の一行を追撃するために、門井沢や不動沢の駒飼口から攻め寄せる織田・徳川の先鋒隊川尻・滝川の軍勢4,000に対し、武田勢は秋山紀伊守・阿部加賀守ら100人に… 続きを読む 鳥居畑古戦場
姫ヶ淵
2014年12月27日 姫ヶ淵の由来天正10(1582)年3月11日武田勝頼公一族は、織田、徳川の連合軍の攻撃を受け激戦の末家臣と共に悲惨な最期をとげ、新羅三郎義光以来甲斐の守護として連綿と続いた甲斐源氏はその歴史を閉じ… 続きを読む 姫ヶ淵
首洗い池
2014年12月27日 この雨沢口に湧く清水の池は武田勝頼公父子の首を洗った所と言われています。(棒杭の説明文より) 2005年05月29日 景徳院の右隣に小さな憩いの場があってベンチなども整備されていますが、この周辺が… 続きを読む 首洗い池
景徳院
2014年12月27日 景徳院(田野寺)は、曹洞宗下総国総寧寺の末寺で、開基は徳川家康、開山は炊けだの臣小宮山内膳の弟で、中山広厳院第7世拈橋和尚である。また、同寺一帯は武田家滅亡の地として有名で、山梨県の史跡でもある。… 続きを読む 景徳院
土屋惣蔵片手切
2014年12月27日 土屋惣蔵昌恒(弘治2~天正10)(1556~1582)は金丸虎義の第5子、15歳の時に土屋備前の養子となり土屋姓を名乗る。長篠の役で義父と養兄の戦死に逢い、敵陣に切り込もうとしたが勝頼に制止されて… 続きを読む 土屋惣蔵片手切
大蔵原思案石
2014年12月27日 武田勝頼公は、織田・徳川両軍の進撃により、天正10(1582)年3月10日天目山方面を目指してこの地(大蔵原)まで来たところ、謀反を起した小山田信茂の軍勢は、早くも郡内の真木から小金沢を経て、この… 続きを読む 大蔵原思案石
武田勝頼公腰掛石
2014年12月27日 勝頼公一族が鶴瀬、駒飼郷に滞陣のおり、この地で周囲の動静をうかがった所と言われています。(現地の案内棒に記載された文章より) 2005年05月29日 甲府から東京方面に向って国道20号線を進み、右… 続きを読む 武田勝頼公腰掛石
四郎作古戦場
2014年12月27日 四郎作古戦場小宮山内膳友晴(友信)は武田家の重臣小宮山丹後守昌友の長男として出仕し、御使番十二人衆の一人として活躍していたが、奸言によって勝頼の勘気を蒙り幽閉の身となった。天正10(1582)年3… 続きを読む 四郎作古戦場
武田不動尊
2014年12月27日 この地は、勝頼一行が憩いし折り、武田の守り本尊として奉持していた不動尊を祀り、武運の長久を祈り里人にこれを託した所と言われています。(現地の案内棒に記載された文章より) 2005年05月29日 こ… 続きを読む 武田不動尊
栖雲寺
2014年12月27日 本堂 貞和4(1348)年、業海本浄禅師が開山した禅寺で、業海は文保2(1318)年に元の国に渡り中峯普応国師に師事し、元の天目山で修行して帰国後武田家の招聘によりこの寺を開いた。以来、武田家の信… 続きを読む 栖雲寺
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