2014年11月16日 麻績城跡からめて入口 戦国時代に麻績の地を支配したのは服部氏で、古屋敷に居館を構えた。天文22(1553)年3月末、甲斐の武田晴信(信玄)が四賀村の苅谷原城、会田の虚空蔵山城を破って筑摩北部地方に… 続きを読む 麻績城
月: 2014年11月
切通し
2014年11月16日 善光寺街道随一の名所。天正8(1580)年に青柳伊勢守頼長により切り開かれた。元禄11(1698)年には「長さ13間5尺、横8尺5寸、高さ1丈」と記され、その後享保元(1716)年、明和6(176… 続きを読む 切通し
清長寺
2014年11月16日 天正元(1573)年青柳城主青柳伊勢守頼長が開基。最初、やや北方の里坊の地に、父清長の菩提を弔うために創立した。後に小笠原氏が青柳氏を滅亡させたあと、居館跡の現在地に移して整備したといわれている。… 続きを読む 清長寺
青柳城
2014年11月16日 青柳城跡及び館跡清長寺の館跡・その下の寺小路の両側の侍屋敷・青柳城山の山城を合わせた中世の城跡である。初めは、坂北村全部と本城村の大部分を本領にしていた青柳氏の城であった。小笠原氏滅亡後、武田信玄… 続きを読む 青柳城
葛尾城
2014年11月15日 主郭 この城跡は、村上氏が坂城郷に居館を構えたと推定される南北朝時代の末頃から天文22年4月村上義清が没落するまで、村上氏歴代の本城であった。けわしい地形を利用して、最高所に本郭をおき、つづいてニ… 続きを読む 葛尾城
荒砥城
2014年11月08日 甲斐・武田信玄と越後・上杉謙信両雄の戦い「川中島合戦」は今から400有余年前の戦国時代、信州信濃・川中島の地で繰り広げられた約10年にわたる戦いで、永禄4年の第4次川中島合戦の総大将同士の直接決戦… 続きを読む 荒砥城
姫宮跡の碑
2014年11月08日 天文22(1553)年に葛尾城が自落した際、逃れた奥方がこの地で自害したと伝わります。寛延3(1750)年に建立された石祠が明治30年頃に自在神社奥社に移転されたため、大正13年に建碑されました。… 続きを読む 姫宮跡の碑
比丘尼石
2014年11月08日 苅屋原の山頂に、苅屋原に向って尼さんがお経を読んでいるような石が見えます。これが比丘尼石です。これは、村上義清公が葛尾城落城後、越後へ逃れた折、義清公の奥方は姫城を脱出して身の危険を感じ、苅屋原の… 続きを読む 比丘尼石
笄の渡し
2014年11月08日 時は戦国、室町末期。村上義清は幾年にもわたって武田信玄と激しい戦いを繰り広げていましたが、天文22(1553)年4月、ついに居城の葛尾城が陥落し、敗走の混乱の中、奥方と別れか別かれ城を後にしたので… 続きを読む 笄の渡し
坂城神社
2014年11月08日 武田信玄の坂木大宮神社にあてた社領寄進状 武田勝頼の坂木大宮神社にあてた社領安堵状 坂城町指定文化財~古文書①永禄11年9月20日、武田信玄の坂木大宮神社にあてた社領寄進状②天正7年2月武田勝頼の… 続きを読む 坂城神社
村上国清供養塔
2014年11月08日 義清亡き後の村上家を継いだのは、義清の子供として天文15(1546)年に生まれた村上景国でした。幼い時の名は源吾、始めは国清を名乗り、後に景国と改めました。彼は天文22(1553)年8月、父と共に… 続きを読む 村上国清供養塔
村上義清公墓所
2014年11月08日 この墓所は、第三代坂木代官長谷川安左衛門利次が、名家遺跡の忘失を憂え、戦国の雄村上義清公の墓所建設を思いたち、明暦3(1657)年義清公の玄孫義豊や村上氏の臣出浦氏の子孫、正左衛門清重らにはかり、… 続きを読む 村上義清公墓所
満泉寺(村上氏館跡)
2014年11月08日 この館跡は、村上氏が旧更科郡村上郷から坂城郷に移ったとされる南北朝時代末頃に葛尾城とともに構築し、戦国時代に信濃の一大豪族として活躍し、天文22年4月に村上義清が武田信玄により没落するまで、160… 続きを読む 満泉寺(村上氏館跡)
上田城
2014年11月08日 2003年11月03日 けやき並木の遊歩道 この日は雨でしたが上田城の紅葉がちょうど見頃でした。雨のおかげ?で人がまったくいなく静かに見学することができました。上田城は徳川の大軍を2度も撃退した城… 続きを読む 上田城
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